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戦力外→引退後は「1年くらい家に閉じこもって…」元近鉄ドラ1が語る“接骨院の経営者”の今「引きこもることも人生には必要です」
posted2022/12/27 11:03
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph by
Makoto Okano
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加藤のお立ち台に…仰木監督「止めてこい!」
「巨人はロッテより弱い」
1989年の日本シリーズは近鉄が本拠地・藤井寺で巨人に連勝。東京ドームに移った3戦目は先発の加藤哲郎が7回途中まで無失点に抑え、完封リレーで初の日本一に王手をかけた。お立ち台に呼ばれた加藤は「まあ、たいしたことなかったですね」「シーズンのほうがよっぽどしんどかったですからね。相手も強いし」と素直な感想を口にした。
「バスに乗って、みんなでヒーローインタビューを観ていました。途中で、仰木監督が『止めてこい!』と言って、五十嵐マネージャーが慌てて走って行ったけど、間に合うはずもなかった。そこまで言ったらマズいやろという雰囲気になりましたね」
ベンチ裏で新聞記者に囲まれた加藤は「(パ・リーグの最下位の)ロッテと比べてどうですか」と聞かれ、「ある意味盟友ですから、比較はできません。ただ、打線は圧倒的にロッテのほうが怖いです」と話した。それが「巨人はロッテより弱い」という言葉に変わって報じられた。
奮起した巨人が逆転日本一
「第4戦、僕は自分が先発だと思っていた。NHKやスポーツ紙の予想もそうでしたし、あの頃は当日に告げられることもよくあった。でも、気合い入れて球場に行ったら、ヒジ痛で離脱していた小野(和義)だった。選手も知らない奇襲戦法だったんです」
小野は6回途中4失点で降板し、打線は巨人の香田勲男に完封されて流れが変わった。高柳は第5戦と第7戦にリリーフで投げたが、形勢が決まった後の登板で全く気分が乗らなかった。近鉄は3連勝の後、4連敗を喫して日本一を逃した。
「『10.12』では打たれるし、日本シリーズでは先発できないし、悔しさと自分への腹立たしさしかなかった。だから、優勝旅行も行かなかったんですよ。ちょうど結婚が決まっていたんですけどね」
仰木監督との思い出…先発前日にスナックへ
1年目は6勝したが、2年目と3年目は3勝ずつに終わる。それでも、仰木監督は高柳に大きな期待をかけ、プライベートで飲みに誘うこともあった。