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「首脳陣が仲の良いチームは弱い」元近鉄投手が語る対西武“10.12の裏側”…決戦直前に大ゲンカの仰木と権藤「早く決めてくれ」「黙ってろ!」
posted2022/12/27 11:02
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph by
Naoya Sanuki
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高柳がルーキーの1988年、近鉄の監督に就任した仰木彬は投手コーチとして権藤博を呼び寄せていた。中日時代に牛島和彦などを育て、2度のリーグ優勝を支えた手腕を見込んでいた。
「仰木さんは頭いいですから、荒くれ者ぞろいの近鉄投手陣を牛耳れるのは権藤さんしかいないと理解していたと思います。権藤さんは現役時代に自分が登板過多で壊れているので、体調面を気遣ってくれましたし、ピッチャーの立場から仰木さんに意見を言ってくれました」
「首脳陣が仲の良いチームは弱い」
シーズン早々、2人は投手起用を巡って対立した。4月22日の西武戦で、仰木監督は先発の加藤哲郎を4回3分の2で交代させる。あと1人で勝利投手の権利を得られる場面での非情な継投に権藤は試合後、無言のまま西武球場を後にした。その後も意見の合わない2人は、確執が囁かれた。高柳はどう見ていたのか。
「対立してこそ、監督とコーチだと思うんですよ。首脳陣が仲の良いチームは弱いですよ。監督に意見できる人がいないといけない。自分の主張を持っていないコーチは、何のためにいるのかわからない。権藤さんはシーズン中盤まで阿波野(秀幸)とか小野(和義)に『仰木さんに中4日で先発しろと言われても断われ』と指示してました。でも、『終盤に優勝争いしていたら中1日でも行くから』とも言っていました。そしたら、本当にその通りになった。すごいなと思いましたね」
9月13日、エース・阿波野の力投むなしく首位・西武に0対1で敗れ、ゲーム差は6に開いた。レオ軍団の4連覇が確実視されたが、次の試合から近鉄は8連勝と猛追。高柳は9月25日の阪急戦(西宮球場)で3勝目を挙げ、10月4日の日本ハム戦(東京ドーム)では7回0封。吉井理人との完封リレーで、近鉄は2位ながらもマジック14を点灯させた。高柳はルーキーらしからぬ強気の発言をしていた。
〈今日も島田誠さんと小川に気をつけたくらいで今は負ける気がしない〉(1988年10月5日付・日刊スポーツ)
そして、運命の10月19日を迎える。