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「門限を破った加藤哲郎が2階から入って…」元近鉄ドラ1選手が明かす“自由すぎた選手寮” 加入直後のブライアントにスパイクを貸すも…
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph byJIJI PRESS
posted2022/12/27 11:01
1989年日本シリーズ、近鉄vs巨人。第3戦で勝利した近鉄のヒーロー、加藤哲郎と光山英和(左)
「2階の部屋で布団を敷いて寝ていたら、いきなり窓がガーッと開いたんですよ。『やばい……泥棒だ』と身構えました。そしたら、門限を破った加藤哲郎だったんです。ブロック塀をつたって、2階から入ってきた。誰もいないと思っていたみたいで、加藤も驚いてましたね。アイツは『よろしく』と言って、そのまま自分の部屋に帰っていった(笑)。それが初対面ですからね」
「『ドラフト1位』という肩書きが嫌だった」
日向キャンプでは右ヒジ痛で思うように投げ込めず、オープン戦でも結果を残せなかった。だが、開幕二軍が転機となる。板東里視二軍監督にスライダーを教わり、ピッチングの幅が広がった。ファームで2試合連続完封勝ちを収めて一軍に昇格。5月15日、この年開場した東京ドームの日本ハム戦で初登板初先発した。田中幸雄に2ランを浴びるなど5回3失点で敗戦投手になったが、高柳は喜びの感情を抱いていた。
「正直、『ドラフト1位』という肩書きがずっと嫌だったんですよ。全く自信がなかった。指名された後、親が結婚式場を借りて盛大なパーティーをしてくれたんですけど、『悪いけど勝てる気がしない』と言いました。だから、1敗という数字が残るだけで嬉しかった。1試合も登板しないで引退する選手もたくさんいるわけですから」
プロ1年目、近づく「10.19」決戦
6月7日、近鉄に激震が走る。主砲のリチャード・デービスが大麻不法所持で逮捕され、そのまま退団した。しかし、この事件は猛牛にとって結果的に追い風となる。仰木監督と中西太ヘッドコーチが中日の二軍で燻っていたラルフ・ブライアントに目を付け、金銭トレードで獲得。新助っ人はデビューからの5試合で4つの勝利打点を挙げ、チームを上昇気流に乗せた。
「最初、球団のスパイクが間に合わないから、僕が貸していたんですよ。足の大きさが31センチの選手が他にいなかった。そしたら打ちまくったから、通訳が『返さないって言ってるんだけど』と伝えにきました」※のちにブライアントからスパイクは返却されたという
大ファンの河合奈保子が始球式をした8月7日の阪急戦(西宮球場)で高柳はプロ初勝利を挙げ、ブライアントは2本のホームランを放った。近鉄は新助っ人加入前日の6月28日、首位・西武に最大8ゲーム差をつけられていたが、エース・阿波野秀幸や主砲・ブライアントを中心に徐々に追い上げていく。そして、球史に残る『10.19』がやってくる――。〈つづく〉
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