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落合博満のグラブを作った男 ハタケヤマの野球用具はなぜ超一流の野球人に愛されたのか まさに「下町ロケット」の町工場が生んだ“作品”の秘密

posted2022/12/21 11:01

 
落合博満のグラブを作った男 ハタケヤマの野球用具はなぜ超一流の野球人に愛されたのか まさに「下町ロケット」の町工場が生んだ“作品”の秘密<Number Web> photograph by Makoto Kenmizaki

こだわりが強い落合博満も現役時代の一時期にハタケヤマのグラブを愛用した

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渋谷真

渋谷真Makoto Shibutani

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Makoto Kenmizaki

 一気に冷え込みが厳しくなり始めた12月8日、野球用具メーカーの「ハタケヤマ」は、同社取締役会長の畠山佳久さんが5日に亡くなったことを報道各社に発表した。死因は骨髄異形成症候群。68歳だった。

 大阪市平野区に本社を構える同社は、決して大手ではないが、野球界では全国区である。同時に畠山会長は多くの関係者が知る有名人だった。なぜなら、経営者でありながら毎日のように球場に足を運ぶ現場第一の人だったからだ。

経営危機を乗り越えた「若」の奮闘

 古株の選手、スタッフからは「若」と呼ばれていた。その名の通り、畠山さんは2代目だった。父の代から老舗ブランド「美津和タイガー」の子会社としてグラブやミット作りに携わってきた。ところが親会社が1985年に倒産(現在は再設立し、ブランド展開)。当然、在庫と取引先への支払いを抱えた子会社は経営の危機に直面した。初代と「若」は、会社を畳むか悩んだ末に自社ブランド「ハタケヤマ」を起ち上げたのだ。

 顧客の要望も決断を後押ししてくれた。そうそうたるメンバーが美津和ブランドの用具を使っていた。地元関西では江夏豊、藤田平、真弓明信、掛布雅之。東の球団に目を転じても、若き日の落合博満、山下大輔……。選手にとって大切な商売道具である。求めるクオリティが高い選手ほど、引き続き愛用したいと言ってくれた。美津和からロゴは変わっても、使用しているグラブは実質的には「ハタケヤマ」が作っていると知っていたからだ。

【次ページ】 「感覚」こそ命。顧客第一に寄り添う“作品”

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