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「ヒロユキ、中学のわりには強いのお」不屈のボクサー・坂本博之の生き方を決定づけた“最初で最後の腕相撲”「俺の本当のオヤジだ…」 

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田中耕

田中耕Koh Tanaka

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posted2022/12/16 17:02

「ヒロユキ、中学のわりには強いのお」不屈のボクサー・坂本博之の生き方を決定づけた“最初で最後の腕相撲”「俺の本当のオヤジだ…」<Number Web> photograph by Number Web

自身が会長を務めるSRSボクシングジムの前で。坂本博之にとって忘れがたい「最初の1敗」は、父との腕相撲で味わったものだった

「スポーツも社会も、圧倒的に敗者の方が多い」

「勝者と敗者が生まれるのがスポーツの世界ですけど、俯瞰して見れば圧倒的に敗者の方が多いんですよ。これは社会の構造も同じだと思う。でも、結果はどうであれ、目標に向かって突き進む過程で何をしたのかが重要。光が当たるのは勝者かもしれないけど、敗れたことは恥でもなんでもない。負けたからって、それで終わりじゃないですから。その先の人生もある。本当の意味での勝ち負けは、自分で決めるものだと思う」

 それは坂本自身が経験したことだった。4度の世界戦では、いずれも敗北を喫した。畑山隆則との試合では初めてキャンバスに沈んだ。「負けは死だ」と思ったこともあった。ただ、2007年1月6日に行われた引退試合で、敗者にも美学があることを実感したという。結果はドローだったが、会場の後楽園ホールは超満員の観客で埋めつくされていた。

「最後の試合も勝てなかった。でも、あれだけのファンに支えられてきたんだと思うと……。俺は勝者として引退できる、と。人生、わかりやすい結果だけではないと確信したんですよ」

 これまで坂本が訪れた児童養護施設は数えきれない。南は沖縄から北は北海道まで、時間があればどこにでも駆けつけ、お菓子を配りながら子どもたちにメッセージを送る。

「僕は世界戦に挑戦して4回も負けました。でもね、そんな僕を応援してくれる人がたくさんいたんだ。なぜかって? それは結果がどうあれ、一生懸命練習して、一生懸命戦ったからだと思っている。一生懸命が疲れるなら、一瞬だけやろうよ。“一瞬懸命”という言葉もあるから。でも中途半端はダメだぞ。積み重ねが大事なんだ。人生に無駄はないし、頑張ったら成功しかないんだ。失敗の二文字はないんだよ」

 子どもたちの心の叫びを受け止めるミット打ちの音が、今日もどこかで響き渡っている。

坂本博之(さかもと・ひろゆき)

1970年12月30日、福岡県生まれ。高校卒業後、東京都内のボクシングジムに入門し、91年、プロデビュー。93年に日本ライト級チャンピオン、96年に東洋太平洋ライト級チャンピオンを獲得。4度の世界戦に挑戦したが惜しくも戴冠は叶わず、2007年に現役を引退した。10年にSRSボクシングジムを開設し、後進の指導に当たる一方、自身の体験から児童養護施設への支援をライフワークとしている。

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“平成のKOキング”坂本博之はなぜ畑山隆則に敗れ、何を学んだのか?「自分を怪物だと思っていた」22年前、伝説の日本人対決の真実

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