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“平成のKOキング”坂本博之はなぜ畑山隆則に敗れ、何を学んだのか?「自分を怪物だと思っていた」22年前、伝説の日本人対決の真実
posted2022/12/16 17:00
text by
田中耕Koh Tanaka
photograph by
Koh Tanaka
平成の時代に、唯一無二のボクシングで人々を魅了した男がいた。世界戦に4度挑戦し、いずれも失敗しながらも、数々の名勝負を演じてきた坂本博之。現在は東京都内のボクシングジムの会長として後進の指導に当たるほか、ライフワークとして全国の児童養護施設を回っている。虐待を受け、施設で育った少年時代を原点に、様々な逆境を乗り越えてきた坂本がいま、世に伝えたいこととは――。ロングインタビューで、その「敗者の美学」に迫った。(全3回の1回目/#2、#3へ)※文中敬称略
東京都荒川区西日暮里、雑居ビルが建ち並ぶ一角にあるSRSボクシングジム。元東洋太平洋ライト級チャンピオン・坂本博之が経営するジムだ。プロボクサーとしての通算戦績は47戦39勝(29KO)7敗1分。どれだけ打たれても前に突き進むスタイル、そして不屈の精神とハードパンチで世界王者をしのぐほどの人気を博し、人は彼を「平成のKOキング」「不撓不屈のボクサー」と呼んだ。
坂本博之が振り返る“負け”の歴史
取材拠点の福岡市から約2時間かけて、初めて坂本のジムに足を踏み入れた。リング中央の壁面には、自身が育った児童養護施設「和白青松園」(福岡市)の子どもたちと職員のメッセージが書かれたパネルが飾られていた。
パネルを見つめながら、30年来の親交がある坂本に声をかけた。
「ジムに来るのが、だいぶん遅れてすまないね」
開設して12年の時が流れての訪問に頭を下げた後、言葉を継いだ。
「それにしても、目標にしていたジムを開設して、すごいじゃないか」
どこか照れくさそうに「いやぁ、まだまだですよ」と謙遜するその笑顔は、現役時代に比べるといくぶん柔らかさが増したように見える。
「でも、なんとか今こうしてやっていけているのも、自分の人生の中で、どうしても忘れられない“負け”があったからだと思います」
坂本は意味深長なことを口にしながら、まるでその“負け”を思い出すかのように、ゆっくりと瞼を閉じた。