アスリート万事塞翁が馬BACK NUMBER
「ヒロユキ、中学のわりには強いのお」不屈のボクサー・坂本博之の生き方を決定づけた“最初で最後の腕相撲”「俺の本当のオヤジだ…」
text by
田中耕Koh Tanaka
photograph byNumber Web
posted2022/12/16 17:02
自身が会長を務めるSRSボクシングジムの前で。坂本博之にとって忘れがたい「最初の1敗」は、父との腕相撲で味わったものだった
最後に父の声を聞いたのは、1998年5月。世界タイトルマッチに向けた前哨戦の1週間前のことだった。突然、ジムに電話がかかってきた。
「ヒロユキ、どうしても会いたいから九州に来てくれないか」
「わかった。試合を終えたら行くから、ちょっと待ってくれ」
坂本がそう言って電話を切った3日後、父は天国へ旅立った。心筋梗塞だった。
「オヤジに負けた、人生最初の1敗」から学んだこと
父はどんな人間だったのか――。坂本が叔母に尋ねると、「人情味があって優しい男だった」と教えてくれた。離婚した母からも、こんなエピソードを聞いたことがある。
結婚してすぐの頃、貧しい暮らしをしていた両親は、うどん屋で一人前のかけうどんを注文した。父はうどんには手を付けず、母に食べさせた。自分は残った汁だけを飲み干した。
力も強かった。川崎町で乗ったあるタクシーの運転手から、中学生のころ、父に助けられた話を聞いた。6人の男にナイフを突きつけられ、お金を脅し取られそうになったが、その場に居合わせた父が片っ端からやっつけてしまったという。
「弱い人を助けようとするオヤジの性格は、僕も受け継いでいきたい。オヤジと勝負して負けた人生最初の1敗。そして、プロボクサーとして味わった7つの負け。それがあるから、敗者の気持ちもわかるし、優しさに裏打ちされた強さがあることも理解できる。僕自身の生き方や、今の活動にもつながっているんです」
ライフワークとなった子どもたちとのミット打ち
引退後、坂本は全国の児童養護施設に足を運び、ミット打ちという独特な手法で子どもたちとの対話を続けている。
訪れる施設では、いつも坂本の声が響きわたる。
「怒りや悲しみがあるなら、もっと思いきりぶつけてこい!」
歯を食いしばり、中には涙を流しながらパンチを繰り出す子どもたちがいる。
「体を動かすことで、胸の奥にある感情を表に出せるようになるんです。ミットを通じてそれぞれの思いを感じます。子どもたちが抱えたものを受け止めて、少しでも力になりたい。あの子たちが心を閉ざし、傷を抱えたまま大人になったらと思うと、いたたまれないじゃないですか」