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「あばらや鼻を折られた者もいた」井上尚弥とのスパーリング拒否続出も…なぜ“元日本王者”は恐れなかったのか「殴られっぱなしでは嫌でした」
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森合正範Masanori Moriai
photograph byTakuya Sugiyama
posted2022/12/13 17:00

トップ選手でも拒否したという「井上尚弥とのスパーリング」。その中で黒田雅之が“逃げなかった”理由とは
怪物を恐れない黒田雅之という男
黒田は東京都稲城市に生まれ、中学まで剣道に励んだ。テレビでWBC世界スーパーフライ級王者の徳山昌守がワンパンチでKOするシーンを見て衝撃を受ける。「あんな細身でも相手を倒せるのか。自分もできるんじゃないか」。自らの体形と徳山を重ね合わせ、高校1年の冬、生活圏内に新田ジム(当時)が設立されると知り、すぐに入門した。月謝を払うため、ファミレスでアルバイトを始めた。
高校卒業後、週6日、朝6時からアルバイトをして、ロードワーク。その後、ジムで汗を流す。青春のすべてをボクシングに捧げようとしていた。18歳でプロデビュー。1回KOで飾り、翌年には全日本新人王に輝いた。
会長の新田は黒田に光るものを感じていた。サンドバッグに打ち込むワンツー。動体視力と反応もいい。強さに貪欲な姿勢にも好感を持った。
「あいつは本当にひたむき。それだけなんですよ。人生、生活のすべてがボクシング。遊ばないし、彼女もほとんどいなくて」
順調にキャリアを重ね、22戦目で日本ライトフライ級王座に就いた。のちに世界王者となる田口良一と引き分けで3度目の防衛に成功した後、井上と出会った。
井上のプロテスト後、スパーリングパートナーとして、呼ばれる回数が多くなった。ヘッドギアを着け、グローブは試合の8オンスより大きい14オンスで対峙する。週に3日は大橋ジムを訪れ、多い日は8ラウンドこなす。試合よりダメージが大きく、頭痛が3日間治まらないこともあった。
この頃、既にボクシング界で「怪物」の噂は広まっていた。スパーリングで世界王者クラスを圧倒し、日本ランカーを倒した。あばらや鼻を折られた者もいる。スパーリングを拒否するトップ選手も多かった。
だが、黒田は決して逃げなかった。プライドや恐怖心より、強くなりたい一心だった。
「自分としても井上君とやりたかった。デビューの時点でスピード、技術、パワーはどう考えても世界トップクラス。世界トップと自分との距離はどれくらいなのか確認できるし、分かりやすい目印だったんです」
道標。井上という「目印」を追いかけていけば、必ず世界チャンピオンにたどり着ける。そう確信した。