#1053
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[ノンフィクション]怪物と最も拳を交えた男

2022/06/17
1986年7月17日、東京都生まれ。高1でボクシングを始め、2005年5月にプロデビュー。'11年に日本ライトフライ級、'17年に同フライ級王座を獲得して2階級制覇。2度の世界挑戦はいずれも判定負け。この6月に引退を表明。167㎝。42戦30勝(16KO)9敗3分け
誰もが恐れるモンスターにも望んで立ち向かった。プロテストの相手役に始まり、試合以上のリスクを伴う150ラウンド以上のスパーリング。井上尚弥の成長を誰よりも近くで感じ、自らも世界の頂を目指した貴重な時間は、彼の人生に何をもたらしたのか。(初出:Number1053号[ノンフィクション]怪物と最も拳を交えた男)

 うだるような暑さで汗を拭ってもすぐに滴り落ちてくる。2012年7月初旬。日本ライトフライ級王者の黒田雅之は川崎新田ジムで練習をしていると、会長の新田渉世から呼び止められた。

「決まったからよろしく」

 アマチュア7冠を獲得した井上尚弥の公開プロテストの相手だという。井上の注目度を高めるため、大橋ジム会長の大橋秀行が発案し、打診を受けた新田は受諾した。

 その3カ月前、黒田は井上と既に拳を交えていた。井上は父真吾、母美穂とともに川崎新田ジムにやってきた。高校を卒業したばかりの19歳と4ラウンドのスパーリング。左利きかと思うほど左フックが強く、左ボディーが巧い。綺麗な動きの中に力強さがあった。その日から何度か拳を交わし、井上の実力は肌身で分かっていた。

 7月10日、東京・後楽園ホール。観衆1300人が見守る中、セミファイナルの前に異例となる公開プロテストが行われた。

 ゴングが鳴る。様子を見る黒田。すると井上の鋭い左ジャブが伸びてきた。素早いコンビネーション。右のストレートは重い。スピードとパワー、いずれもプロ入り前の若者の方が上回っている。25歳の日本チャンピオンは終始圧倒された。

井上(右)の公開プロテストでは現役日本王者として相手を務めたが3ラウンド通じて押され気味だった ©Hiroaki Yamaguchi
井上(右)の公開プロテストでは現役日本王者として相手を務めたが3ラウンド通じて押され気味だった ©Hiroaki Yamaguchi

 静かな会場に野次が響き渡る。

「黒田、弱い! ボクシング辞めちまえ」

 会場にいた新田はラウンドが進むにつれ、機嫌が悪くなっていった。

 長い長い9分間を終えた黒田は、こう自分に言い聞かせてリングを下りた。

「しょうがないよな」

 黒田は東京都稲城市に生まれ、中学まで剣道に励んだ。テレビでWBC世界スーパーフライ級王者の徳山昌守がワンパンチでKOするシーンを見て衝撃を受ける。「あんな細身でも相手を倒せるのか。自分もできるんじゃないか」。自らの体形と徳山を重ね合わせ、高校1年の冬、生活圏内に新田ジム(当時)が設立されると知り、すぐに入門した。月謝を払うため、ファミレスでアルバイトを始めた。

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photograph by Masakazu Yoshiba

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