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サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
泣き虫サッカー小僧がW杯へ「勇紀を象徴する写真だなあって」相馬勇紀が三菱養和で磨いた武器とは…恩師に“カタールで人生変えます”宣言
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byKiichi Matsumoto
posted2022/11/21 11:03
朗らかな笑顔を見せる日本代表アタッカー相馬勇紀。彼を育てた指導者たちに秘話を聞いた
「たしかに体格で劣る部分はありましたが、いざ走り出す時の“初速”と“キックの強さ”は別格だった。スクールの頃から有名人でしたから(笑)。でも最初は環境が変わって不安そうにしていました。背番号は『お前ならできるよ。自信を持ってどんどんやっていいんだよ』というメッセージでした。
人懐っこいキャラクターで気づいたらチームの中心になっていましたね。(08年)4月の集合写真では端っこに座って肩をすくめているんですけど、1年後はドカンと真ん中に座って笑っている。使用前、使用後みたいな(笑)。勇紀を象徴する写真だなあって」
下級生の試合にも顔を出して「お前はコーチかよ(笑)」
昔の写真を見返せば、仲間から“ちょっかい”を出されているものばかりだ。松岡修造の練習相手を務めるほどのテニスの腕前をもつ父、同じテニスで国体優勝経験がある母から受け継いだ負けん気は持ち合わせていたが、成長が少しばかり早い同級生たちに言い負かされて半べそをかくのは日常茶飯事だった。それでも翌日にはケロッとしてグラウンドに姿を現すところがチームで愛された所以でもある。
幸運にも相馬が通った調布グラウンドは実家のすぐそば。だから誰よりも早く乗り込み、ボールを蹴っていた。自分とは関係ない下級生の試合にも突然顔を出し、気づくとコーチの横に陣取っている。「お前はコーチかよって(笑)」(大槻さん)。まさに絵に描いたようなサッカー小僧だった。
学べる姿勢が勇紀の一番の才能かもしれないですね
ただ、“カワイイやつ”だけで終わらなかったのが相馬勇紀という少年である。緩やかながら、徐々に“すごいやつ”に変貌を遂げていく。
当時のプレースタイルはゴールに向かってドリブルを仕掛けてシュートを打つ粗削りなもの。右足ばかり使っていたことで次第に対戦相手に読まれ、止められるシーンが増えていた。大槻コーチは左足を使うことやフェイント、相手をいなす腕の使い方などの技術を徹底的に叩き込んだ。何度ミスしても違う選択をさせなかったのは、「生き残る術」がそのアグレッシブさにあると見込んでいたからだ。
「勇紀はこちらが言ったことをどんどん試して、ものにしていく吸収力がありました。ちゃんと人の話を聞いて、サッカーと純粋に向き合う。キックもね、当時はインステップばっかり使っているので、一緒にバー当てをしながら教えていきました。E-1選手権でFKを決めましたけど、当時の練習が生きてるんでしょう(笑)。上手い選手は他にもたくさんいましたが、そういう学べる姿勢が勇紀の一番の才能かもしれないですね」