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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
“東大で0勝12敗投手”がドラ8指名も…「おいおい、東大君!」「伊良部秀輝さんのカーブで尻もち」小林至が味わった“力不足”
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byKou Hiroo
posted2022/11/17 11:01
東大卒の元プロ野球投手・小林至さんに今までの野球人生と現在を聞いた
なぜかというと、東京大学経済学部を卒業していなかった小林氏に対して、東大経済学部は籍を置いたまま、プロ野球に入団することに対して難色を示した。小林は退学を決意するが、ロッテ球団にいさめられ、その後1年間は大学に通いつつロッテの練習生として単位を取得。卒業後に指名されることになった。そして1991年のドラフト8位で入団する。
キャッチボールのボールすら取れない!
なおこの年のドラフト会議ではオリックスのイチローや田口壮、近鉄の中村紀洋、ヤクルトの石井一久、横浜大洋の斎藤隆などが指名された。翌年からロッテオリオンズは、千葉ロッテマリーンズに名称変更した。
「1チーム70人としておおよそ840人、私は840番目からのスタートであるという自覚はありました。東京六大学の時から、肉体的にも球速的にも他チームと差があるという自己分析はできていた。それでも抑える可能性があると思っていました。
とはいえ本物との運動能力の差は歴然でした。たとえば、3-6-1のダブルプレー、ショートの五十嵐章人さんや渡辺英昭さんの送球は、いままで見たことのないスピードで、捕れない。キャッチボールでも、1球目からポロっとやって島田茂さんから“おいおい、東大君”なんて言われたこともあります。
伊良部秀輝さんの投球を打席で体感したことがあります。日本最速といわれた時速160キロ近い直球も怖いですが、驚いたのはカーブ。右打席で頭に来ると思ってのけぞって“尻もち”をついたらど真ん中に落ちてきました。伊良部さんは“至さん、こんな球、見たことないでしょう”と笑っていましたね」
牛島さんから授けられた“逆転の発想”
しかしそれでも小林氏は努力を続けた。
「当時の二軍投手では一番ウェートトレーニングしたのではないでしょうか。ただ、ボールを速くしようとは考えなくなりました。当時、ロッテの投手だった牛島和彦さんからは“あれだけ思いっきり腕を振って、そのスピードというのはプロではありえない。それを武器にしたらどうか。打者は戸惑うぞ”とアドバイスされたんです。
オリックスの星野伸之さんのビデオを擦り切れるほど見て、手が身体に隠れて最後までボールを見せない“手品”みたいな投法を身につけようとしたんです。1年目秋の黒潮リーグでは5者連続三振を取りました。振っても球が来ないのは、いけるんじゃないかと思ったのですが」