- #1
- #2
酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
“東大で0勝12敗投手”がドラ8指名も…「おいおい、東大君!」「伊良部秀輝さんのカーブで尻もち」小林至が味わった“力不足”
posted2022/11/17 11:01
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Kou Hiroo
小林至氏は、新治伸治(大洋)、井出峻(中日、現東大野球部監督)に続く3人目の東京大学出身のプロ野球選手だ。引退後は、福岡ソフトバンクホークスのマーケティング担当、編成担当取締役として、NPBのビジネスモデルの変革に多大な功績を残した。そして今回『サクッとわかるビジネス教養 野球の経済学』(新星出版社)という画期的な本を出した。
今は桜美林大学健康福祉学群教授となっている小林氏の研究室を訪ねた。
浪人するからには東大を目指そうと思って
「野球は気がついたころには始めていましたね。小学校の頃は、スポーツ少年団に所属していましたが、中学は野球部がなかったのでバスケットボール、そして卓球をやりました。
本格的に野球を始めたのは神奈川県立多摩高校に入ってからです。一塁と外野を守っていましたが、上の学年が抜けても、レギュラーになれなかった。投手なら土日に試合があれば、エースが連投することはない。だから必ず出番があるだろうと思って“監督に投手をやらせてほしい”とお願いしました。“ストライクが入るなら、時々投げさせてもいいかな”ということで、投手になりました」
多摩高校は小林氏の在籍中、夏の地方大会では3回戦まで進んだのが最高だった。小林氏は大学でも「野球で輝きたい」という思いを抱くようになる。
「現役(高3)のときは、大阪大学を受けました。阪大は、1985年には関西地区第一代表として全日本大学野球選手権出場を果たしています。学力も頑張れば届くんじゃないかと勝手に思ったんですが、全然届かずに問題の意味もわからなかった。数学なんか途中で寝ちゃったんですよ(笑)。
で、浪人するからには東大を目指そうと思って、寝る時間以外は全部勉強しました。自分の中では当時日本で一番勉強した浪人生だと思っています。高校時代は模擬試験の偏差値が40台というかなり厳しいスタートだったんですが、成績は急上昇して、7月には東大模試でA判定が出た。仲間から“至、すごいぞ”って言われて、そのまま本当に入っちゃいました。私にとって初の成功体験でしたね」
東大は“通算200勝”に王手をかけながら連敗していた
合格したのは文II、ここから経済学部に進む。そして当然、野球部に入る。