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「ごくろうさん」オリックス宮城大弥の日本一を恩師・我喜屋優(72歳)も喜ぶ「みんなで育ててきた。謙虚だから伸びたんだと思いますよ」
text by
前田泰子Yasuko Maeda
photograph byNaoya Sanuki
posted2022/11/09 17:03
日本シリーズでは2試合に先発したオリックス宮城大弥(21歳)。大舞台での活躍を、興南高校時代の恩師・我喜屋優監督に振り返ってもらった
投手の条件が備わった左腕がもう一人、興南にはいた。2010年に沖縄代表として初めて甲子園の春夏連覇を果たしたときのエース島袋洋奨(現興南コーチ)だ。
「投手のタイプは違うけど、2人とも野球に対してまじめで、野球が好きで弱音を吐かない。社会人の投手も見てきた中でも2人は突出していた。周囲がピンチだと思っていても平然としていた。周囲が大変だと思っていることも『ここが力の入れ時だ』と冷静に向かってインコースに投げ込んで三振もよく取っていましたね」
2年春から4季連続で甲子園に出場し、3年で春夏連覇を成し遂げた島袋と、1、2年の夏に出場し甲子園で1勝しかできなかった宮城。その差はなんだったのだろうか。
「相手は宮城の速い球を想定して練習してくるので、前半からどんどん打ってきました。島袋も夏の準決勝の報徳学園戦では真っ直ぐを狙い撃たれて2回までで5点取られた。でもバックの選手が島袋に「もっと変化球を投げろ」とか声をかけて試合を立て直し結局6―5で逆転勝ちしたんです。自分たちで声をかけあって試合を作れるチームでした。宮城の時はそれがなかった。そこの差でした」
「実は走るのが嫌いで」「おっさん走りでしたよね」
高校時代の宮城に練習方法を尋ねたことがある。抜群のスタミナとコントロールはどうやって磨いているのかと。宮城は「ずっとブルペンで投げています。実は走るのが嫌いなんで。投げていれば走れと言われないのでずーっと投げ続けているんです」とちょっとバツが悪そうに笑みを浮かべた。
強豪校のエースともなれば黙々と走り込んでスタミナをつけるものだと思っていたから、意外な印象を受けた。そのことを我喜屋監督に告げると笑っていた。
「確かに宮城は“おっさん走り”でしたよね。普通の投手は投げ込みと走り込みをやるものだけど、あいつは走れと言わないと自分から進んで走ることはなかった。その逆は島袋。彼は自分から進んで階段を上がったり走ったりして鉄人みたいな体を作り上げていきました。でもメジャーリーグの投手だって走るのは大っ嫌いでしょ。投げてばっかりいるから上体が強い。宮城もそのタイプですね」