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競馬PRESSBACK NUMBER
サイレンススズカと武豊「乗っていて、ほんとうにたのしくなる」…“悲劇の天皇賞・秋”のあの日、ファンが夢見た「史上最高の逃走劇」
text by
江面弘也Koya Ezura
photograph byKeiji Ishikawa
posted2022/10/30 11:00
1998年の毎日王冠でのサイレンススズカと武豊
あのダービー前、スポーツ誌のダービー特集号の仕事をいただいたわたしは、自ら希望して、出走できるかどうかも定かでないサイレンススズカを追いかけていた。橋田満調教師はダービーを勝つために控えるレースを教えようとしていたが、速く走りたい気持ちが先走っていた三歳春のサイレンススズカにはマイナスに働いたのかもしれない。
「性格は素直で、学習能力の高い馬です。いまは成長途上ですが、古馬になればGⅠの常連になれる馬ですから」
橋田が言っていたように、四歳になって馬は大きく変わった。心身ともに成長し、速いだけでなく、強くもなった。
ただ速く走りたくて、前へ前へ行く――
いま、サイレンススズカはどんなタイプの逃げ馬だったろうかと考える。カブラヤオーのように馬を恐がったり、エリモジョージのように「気まぐれ」な馬ではない。いたってまじめな馬だ。トウショウボーイやマルゼンスキーは逃げるつもりがなくても自然と先頭に立ってしまったが、サイレンススズカは最初から逃げる気満々である。
前項でサイレンススズカの金鯱賞を見て思いだしたと書いたアスコットエイトは、ミスターシービーが三冠を達成した菊花賞で逃げて大差のしんがりになった馬だが、ダートでは大差勝ち三回(すべて二秒以上の差をつけての逃げきり)、九馬身差の逃げきり一回(レコード)という、勝っても負けてもファンをたのしませてくれた「ダートの韋駄天」である。サイレンススズカのようなヒーローではなく、わたしのような逃げ馬好きに愛された馬ということではツインターボのような存在だった。
こうして考えてみると、わたしのなかで、もっともサイレンススズカとイメージが重なるのは一九八〇年の桜花賞馬ハギノトップレディである。爽快で、華やかで、なによりもスタートから一目散に逃げる姿が格好いい。ただ速く走りたくて、前へ前へ行く――。そんなイメージである。
「乗っていて、ほんとうにたのしくなる馬です」
毎日王冠のあとに武豊が語っていたが、サイレンススズカは騎手が乗っていて一番たのしいタイプの馬ではないかと想像する。