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競馬PRESSBACK NUMBER
サイレンススズカと武豊「乗っていて、ほんとうにたのしくなる」…“悲劇の天皇賞・秋”のあの日、ファンが夢見た「史上最高の逃走劇」
posted2022/10/30 11:00
text by
江面弘也Koya Ezura
photograph by
Keiji Ishikawa
本書は一九九八年に三歳馬だった馬たちの戦いを描いたものである。そういう意味で、秋の天皇賞に触れる必要はないかもしれない。三歳馬は一頭も出走していないのだ。しかし、一九九八年の競馬を語るうえでこの天皇賞は避けてとおれないし、避けてもいけないと思う。もうひとつ、本項は「わたし」個人の思い入れが多々はいっていることを、あらかじめお断りしておく。
一九九八年一一月一日、東京競馬場。ファンは史上最高の逃げきりを見るために競馬場にやってきた。わたしもそのひとりだった。
サイレンススズカの最終的な単勝オッズは一・二倍と飛び抜けている。つづくのは春の天皇賞馬メジロブライト(六・二倍)と前年の有馬記念馬シルクジャスティス(八・四倍)だが、宝塚記念では一一着、六着とサイレンススズカに完敗し、前走の京都大賞典でも三歳のセイウンスカイの二着、三着だった。
「一九九〇年代最高の逃げ馬」
わたしはずっとサイレンススズカを「一九九〇年代最高の逃げ馬」と書いてきた。「最強」ではなく「最高」と書くのは、ミホノブルボンへの敬意である。一番人気で皐月賞とダービーを逃げきった馬はトキノミノル、カブラヤオー、ミホノブルボンの三頭で、無敗で成し遂げたのはトキノミノルとミホノブルボンだけなのだ。そんな偉大な馬をさしおいて、どんなにサイレンススズカが好きでも「最強」とは書けない。
ましてやサイレンススズカはダービーは四番人気で九着だった。まだ幼さを残し、アクシデントも重なって臨戦過程も厳しかったが、六番人気のサニーブライアン(皐月賞も一一番人気)が逃げきって二冠を制した、お世辞にもレベルが高いとはいえなかった世代のダービーで、である。