甲子園の風BACK NUMBER
西武ドラフト5位「これが今の自分の評価」近江・山田陽翔の知られざる苦悩とは? 先輩・同級生が語る強気なエースと過ごした3年間
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph byKYODO
posted2022/10/21 17:02
投打でチームを牽引して甲子園に3度出場した近江・山田陽翔(3年)。重圧を跳ね除けた3年間を糧に、プロの世界で活躍を誓った
岩佐が近江に入学して半年以上が経った頃、翌年に鳴り物入りで入学してくる山田の評判の高さは、徐々に強まっていた。
「どれだけすごいヤツが入ってくるのかとずっと気にはなっていました」
だが、翌春は新型コロナウイルス感染拡大の影響で3カ月近い休校があり、部活動も自粛となったため、お互いが顔合わせしたのは6月のことだった。岩佐は直後に行われた夏の県の独自大会でマウンドに立つことはなかったが、1年生の山田は初戦の光泉カトリック戦で、熱中症で降板した先輩投手の代わりに緊急登板してピンチを切り抜け、打っては決勝打を放つなど鮮烈な高校野球デビューを飾った。
直後の秋にエース番号を背負ったのは山田だった。岩佐は背番号11を背負い、山田と切磋琢磨する日々が続く。
先輩にも伝わっていた山田の苦悩
だが、1年生エースは苦戦を強いられる。秋の近畿大会の初戦の神戸国際大付戦で2-5で敗れ、センバツ出場が極めて厳しくなった。その試合で決勝打を打たれたのは山田。さらに翌春の県大会3回戦で立命館守山に敗れ、夏のシード権を逃した時も痛打を浴びたのは山田だった。
当時の山田を岩佐はこう振り返る。
「普段から堂々としていて強気なヤツなのに、あの頃は何かが違っていました。自分が3年生になって山田が2年生になったばかりの頃も調子が上がらない時期が続いて、正直“山田はもう無理なのかな”とか思ったこともあったんです。表には出さないけれど、そばで見ていて苦しそうな雰囲気は感じました」
普段は自信満々な後輩の声色が、明らかに違っていた。
「夏の県大会が始まる前に背番号はどうなるのかな、という時期に、いつもなら山田は“自分が(1番を)絶対つけます”って言うのに、“この夏は岩佐さんですよ”って言ったんですよ。そんなことを言うやつじゃないのに、あれはビックリしましたね」
冗談半分だったとはいえ、岩佐はこの言葉が強く心の奥に響いた。
だが、夏の県大会が開幕すると、そんな発言は杞憂だったと分かる。