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元大阪桐蔭・中川卓也が明かす“名門キャプテン”の凄まじい重圧「個人練習の記憶はほぼない」…あの仙台育英戦の悪夢をいかに乗り越えたか
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byHideki Sugiyama
posted2022/10/18 11:00
大阪桐蔭「最強世代」キャプテン・中川卓也。春夏連覇から4年経った今、改めて当時のエピソードを語ってもらった
主将に就任…涙の中川に福井は言った
キャプテンとして新チームが始動してから、中川は個人練習の記憶が「ほぼない」と言う。それだけ、チームのために心血を注いだ。
しかしその熱量は、必ずしも全てがプラスに作用したわけではない。厳しさを追求するあまりチームを見る目がシビアになり、視野が狭くなる。そして、ストレスだけが溜まる。
秋季大会を間近に控えた頃だ。堪えてきた感情が、大粒の雫となって溢れ出した。
練習中にトイレでひとりふさぎ込んでいる中川を救ったのは、またも福井だった。キャプテンだけが知る苦しみを理解してもらいながらも、再度覚悟を植え付けられる。
「グラウンドで弱い姿を見せたらアカンぞ」
大阪桐蔭のキャプテンとは? と反芻する。
中川がキャプテンとして克己した。
「やっぱり春夏連覇したかったんで。『同期のメンバーから嫌われたらどうしよう』って思ってしまったり、強く言いたいけどためらってしまう時ももちろんあったんです。でも、最後の最後、その瞬間まで嫌われようが陰口叩かれようが、『キャプテンが中川でよかった』って、みんなに心の底から思ってもらえるんだったらいいって思えるようになりました」
秋の神宮大会での敗戦を機に、中川の想いがチームに染みわたっていく。「個人の技術を高めることに集中したい」と主張していた藤原や青地斗舞、石川瑞貴らもキャプテンの意志を尊重する。中川が行き詰まった時は、副キャプテンの根尾がフォロー役に回った。
3年のセンバツ。中川に「勝てる自信があった。負けたら力不足と割り切れるだけチームはまとまっていました」と言わしめたチームは、大会連覇を果たした。自身も3番バッターとして打率4割9厘を残し貢献したが、その背景には、センバツ直前にデータ班に回り、相手の分析に時間を費やしてくれた小谷優宇など、メンバー外の選手たちの支えがあった。チームは、紛れもない一枚岩だった。
センバツ優勝も…最強世代を襲った重圧と危機
この年の大阪桐蔭の強みは、「最強」と謳われながらチームが謙虚であったことだ。
「お前たちは歴代で10番目くらいの強さだ」
監督から常にそう言われてきたし、実際に春季近畿大会後の練習試合では、勝った記憶が薄れるくらい負けこむ時期があった。
キャプテンがミーティングでチームに問う。
「こんな結果を続けて、夏も勝てると思う?」
勝てると豪語する選手などいない。大阪桐蔭にあったのは危機感だった。
だが時として、勝利への想いが強ければ強いほど、心の潤いが枯渇し悶えることもある。
夏の中川がそうだった。北大阪大会では4割以上の打率を残しながら、甲子園では打てなくなった。「バットを振りたくない」と嘆くほど絶不調だった。
春夏連覇への重圧。そこに尽きた。キャプテンとしての使命と責任が、中川の精神を圧迫していたのである。
「何打席連続で三振しても、どんな結果になろうと、中川を3番で使い続けるから」
監督の西谷からの言葉に、中川が奮い立つ。