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元大阪桐蔭・中川卓也が明かす“名門キャプテン”の凄まじい重圧「個人練習の記憶はほぼない」…あの仙台育英戦の悪夢をいかに乗り越えたか
posted2022/10/18 11:00
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
Hideki Sugiyama
2018年、大阪桐蔭は高校野球史上初となる2度目の春夏連覇を果たした。根尾昂、藤原恭大、柿木蓮、横川凱の4人が高卒プロ入りした最強世代――。当時レギュラーメンバーの証言から、チームの実像に迫る短期連載「大阪桐蔭・最強世代のリアル」。最終回は、キャプテン・中川卓也(早稲田大)が明かす。(全8回の#7/#8へ)
大阪桐蔭のキャプテン。それは、気高き精神の持ち主である。
近年では、「大阪桐蔭史上、最高のキャプテン」と呼ばれた、2017年の福井章吾がそうだ。そして、甲子園史上初となる2度目の春夏連覇を達成した18年の中川卓也も、圧倒的な求心力でチームを牽引してきた。
中川に大阪桐蔭を選ばせた“西谷監督の言葉”
中川は生粋のリーダーだ。
少年野球チームの北出戸モンスターズでのキャプテンから始まり、中学時代に所属していた大阪福島シニアでもチームをまとめ上げ、全国大会出場を果たしている。
そんな中川は最初、兄・優がいた八戸学院光星への進学を漠然と考えていた。他の高校からも誘われ逡巡していたなか決定打を与えた存在こそ、大阪桐蔭の西谷浩一だったのである。
「100回大会で中川君が優勝旗を持って歩いている姿が見えるんだ」
中川の世代が高校3年生となる18年は、ちょうど夏の甲子園が100回目を迎える記念の年で、大阪桐蔭は5度の全国制覇を経験する名門。迷いは、完全に払拭されていた。
「決めたのはやっぱり、『桐蔭が一番優勝に近い高校なんじゃないか』と思えたことですよね。あとは、キャプテンを意識させてもらえたことも大きかったです」
中川たちは入学前から「最強」と評判の世代だった。自信はあった。しかし、それが過信と悟るのに時間はかからなかった。