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ラグビーPRESSBACK NUMBER
「死んだ方が楽かな」突然の病宣告に立ち向かった早大生が記したラグビーノート…“生きるための努力”から始まった629日
posted2022/10/14 11:03
text by
中矢健太Kenta Nakaya
photograph by
Asami Enomoto
みんながアスリートとして上を目指すのを横目に、自分は「生きるための努力」をしなければならない――。予期せぬ身体の異変に打ちひしがれながらも、懸命に自分と向き合った不屈の大学生がいた。名門・早稲田ラグビーの“赤黒ジャージ”をもう一度着るために病と闘った小西泰聖(4年)の629日を振り返る(全2回の1回目/#2はこちら)。
102-0。
10月2日、熊谷ラグビー場で行われた関東大学ラグビー対抗戦A第3節、早稲田大学対日本体育大学のスコアである。
この試合の詳細が報じられることはほとんどなかったが、この一戦に特別な想いを持って臨んだ選手がいた。
小西泰聖。
4年生の彼にとって、629日ぶりの公式戦だった。
後半23分。21番の赤黒ジャージを身につけた小西は、リザーブの赤いビブスを脱いで、ピッチに足を踏み入れた。およそ20分のプレータイム。テンポよくパスを捌き、スペースを見つけて駆け抜ける小西は、誰よりもラグビーを楽しんでいるように映った。
試合後の会見で、ゲームキャプテンを務めた吉村紘は言った。
「ずっと試合に出られない中での彼の取り組みを部員みんなが見ていて、そういった選手が今日、赤黒を着てグラウンドに立ったということは、下のカテゴリーにいる選手にとっても良い影響になると思います」
メンバー表から小西の名前が消えた
半年前の4月9日、上井草のグラウンドには桜が咲き、新人練習が行われていた。その横で、延々とスプリントを繰り返す選手がいた。小西だった。
桐蔭学園高校では主将として準優勝。2018年のユース五輪では7人制ラグビーの日本代表として銅メダルを獲得。その後、高校日本代表にも選出された。入学した早大では、1年時から赤黒に袖を通した。
試合のメンバー表からその名前を見なくなって、1年以上の月日が経っていた。
「病名を明かすことはこれから先もできませんが……」
ゆっくりと小西は話し始めた。