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「死んだ方が楽かな」突然の病宣告に立ち向かった早大生が記したラグビーノート…“生きるための努力”から始まった629日 

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中矢健太

中矢健太Kenta Nakaya

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photograph byAsami Enomoto

posted2022/10/14 11:03

「死んだ方が楽かな」突然の病宣告に立ち向かった早大生が記したラグビーノート…“生きるための努力”から始まった629日<Number Web> photograph by Asami Enomoto

629日ぶりの公式戦に出場した早稲田大学ラグビー蹴球部・小西泰聖(4年)

 高校生の時から毎日つけてきたラグビーノート。自身が21歳になった日には、こう綴られていた。

「いろんな人からおめでとうと言ってもらえた。いろんな人が待っていると言ってくれた。電話で真剣に向き合ってくれた仲間、強くはげましてくれる仲間もいた。1人じゃない。沢山の支えの存在を感じられるかどうか。本当に応援してくれる、話を聞いてくれる、いつも通りに話してくれる親、仲間、後輩を大事にできるかどうか。(中略)今まで歩いてきた道の延長じゃなくて良い。新しい道で、目標に向かって歩こう。遠回りでも、デコボコでも、これから歩く道をゴールに繋げよう」(21年9月1日)

 そんな小西を、仲間は支えた。特に学生トレーナーやリハビリのトレーナーは、いちばん近くで小西を見てきた。主務の川下凜太郎も、そのひとりだった。

小西の前でカップ麺をすする親友

 川下は小学校1年生のとき、江東ラグビークラブでラグビーを始めた。ほぼとなり町にある葛飾ラグビースクールには小西がいて、毎月のように試合をした。当時から上手くて目立っていた小西を、川下は一方的に知っていた。

 中学生になると、川下はワセダクラブ、小西はベイ東京ジュニアラグビークラブに進んだ。ここでも、都の大会や練習試合で頻繁に当たったが、面識のない関係は続く。

 卒業後、川下は早大学院高校に進んだ。一方、桐蔭学園に進学した小西は、全国に名を馳せる有名選手になった。まさか、大学で一緒のチームに所属するとは思ってもいなかった。

「ネットで、小西泰聖が早稲田決まったって見て、ポジションも一緒だったんで、ヤベーなって(笑)。それが理由で、僕は今こういうこと(主務)をやっているわけではないですけど」

 川下は、選手としてよりも裏方にまわるほうがラグビー部に貢献できると考えて、レフリーとして入部。ついにふたりはチームメイトになった。以降、その仲は深くなる。

 小西が急きょグラウンドを離れるようになってからも、川下は変わらずに接した。入院中はよく電話して、他愛もない話を交わした。銭湯に行ったり、一緒にコーヒーを飲んだり。時には小西の前で、小西が食べることを制限しているカップ麺をすすったこともあった。

「年越し蕎麦食べないと、と思って買ってたんですよ。あの“どん兵衛”の赤い天ぷらそばを。そしたら、『お前よく食えるな』って。『年越しだから許してよ』って言いました」

 一方の小西は、こう振り返る。

「普通の日常を与えてくれるので。いつも通りの。気を遣わないんですよね。こいつがいるから普通でいられる。自分が『あ、人間だわ』って思える感じです。ああやって普通に、当たり前にやってくれる人がいるっていうのは楽ですね。何があったの? くらいのスタンスで」

 そんな川下は、昨年は副務、今年は主務としてチームを陰から支えてきた。公式戦での選手交代の際、インカムに流れる監督の指示を受けて、交代用紙を提出するのは川下の仕事のひとつ。

「監督から『次、タイセイ』って言われたら、僕、泣いちゃうよ」

 そう言ってくれたのを、小西はずっと覚えている。

(つづく)

#2に続く
「僕に関わる人には確実に迷惑をかける」それでも病とラグビーに向き合った早大生を支えた仲間たちと母の言葉

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