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「死んだ方が楽かな」突然の病宣告に立ち向かった早大生が記したラグビーノート…“生きるための努力”から始まった629日 

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中矢健太

中矢健太Kenta Nakaya

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photograph byAsami Enomoto

posted2022/10/14 11:03

「死んだ方が楽かな」突然の病宣告に立ち向かった早大生が記したラグビーノート…“生きるための努力”から始まった629日<Number Web> photograph by Asami Enomoto

629日ぶりの公式戦に出場した早稲田大学ラグビー蹴球部・小西泰聖(4年)

 退院後は身体に負担をかけないよう食事制限が設けられ、1日に摂取できるカロリー、タンパク質、塩分量が決められた。アスリート向けの寮の食事では、この基準に収めることは到底できない。寮に住みながら、朝昼は自炊で賄った。

 1日に何を食べたか、どんな栄養素が何グラム含まれているか。全てをファイルに記録した。その徹底ぶりは、記録することを勧めた医師と管理栄養士が「ここまでやってくる患者さんはいない」と称えるほどだった。

 小西が初めてラグビーボールに触れたのは2歳の時。葛飾ラグビースクールの幼稚園グループで、ハンカチ落としのハンカチをラグビーボールに換えて戯れていたという。

 父と初めて見に行った試合は、旧国立競技場で行われた早明戦。当時の早稲田は、権丈太郎や五郎丸歩が4年生だった。大勝した赤黒は、幼い小西にとってヒーローだった。小西は並行して陸上もやっていた。正月、箱根駅伝で走る早稲田の選手も、同様に輝いて見えた。

 それ以来、早稲田は憧れになった。まさか自分が目指すことができるなんて、そのときは思ってもいなかった。入学が決まったときは、家族が喜んでくれたのがうれしかった。

「生きるための努力」をしなければならない

 早稲田で日本一になる。「荒ぶる」を成し遂げる。ここに来たのは、確固たる理由があった。だが、ついこの間までプレーしていた自分はいない。今の自分は、作った料理を記録し、それを食す日々の中にいる。

 みんながアスリートとして上を目指すのを横目に、自分は「生きるための努力」をしなければならない。終わりは一向に見えないけれど、皮肉にも料理は上手くなっていく。それをやりにきたわけではないし、好きなものを好きなだけ食べられるわけでもない。

 冷静に自分を見つめたとき、「死んだ方が楽かな」と思う日は少なくなかった。

 果てしない暗闇。目の前はなにも見えない。その深みに沈んでいきそうな小西を引き上げたのは、母の言葉だった。

「今は自分が大切にしたいものを守り抜く時だよ」

 自分が大切にしたいものってなんだろう。なんでラグビーを続けてきたのだろう。そもそも、なんのために生きているのだろう。はじめて直面した、人生の大きな問い。考え抜いた先に思い浮かんだのは、身近な存在だった。

【次ページ】 ラグビーノートに記した「1人じゃない」

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