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4年前、大阪桐蔭“最強世代の1番バッター”はなぜ笑わなかったのか?「“無”になりました」「根尾とか藤原の陰にうまく隠れられた」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byGenki Taguchi
posted2022/10/14 11:02
2018年、史上初2度目の春夏連覇を達成した大阪桐蔭。「最強世代」の1番打者が明かすあの夏の回想と今
「高校に入る前から、ツイッターとかで『最強世代』みたいに話題になっていたんで。それでちょっとビビってたというか(笑)」
入学してからもそうだった。大阪桐蔭では、新入生はまず上級生のノックを見学させられる慣例があり、そこで鼻っ柱をへし折られる1年生も少なくはない。「あれは確実にビビらせにきてますよね。自分らも上になったら『ビビれ!』と思いながら見せてましたから」と、宮﨑が“洗礼”の舞台裏を明かす。
2年時センバツから不振…何を変えたのか
そんな実力社会のなか、宮﨑は未経験の外野にコンバートされた。
2年生のキャッチャーには岩本久重がおり、福井章吾も適性があった。1年生にも小泉航平がいた。何より、監督の西谷浩一から「試合に出られるチャンスがある。頑張ってみないか?」と提案され、素直に受け入れた。
プレッシャーにあまり強くなく、少々ビビりでもある。そんな宮﨑だが、マイナス要素をプラスに転換できる冷静な思考があった。
外野を始めた当初は、フライの捕球すらおぼつかない状態だった。本来ならば「ミスをしたら……」と怖気づきかねないところ、宮﨑にはそういった感情は無縁だったという。
「もともと試合に出たいから外野になったわけで、初めてやるポジションだからダメなのはわかってたんで。その分、バッティングと走塁で頑張ろうって感じでしたね」
同学年の青地斗舞をBチームのスタメンで起用し続けたように、西谷には慧眼がある。資質を見出された宮﨑は、1年の秋から多くの試合でスタメンに名を連ね、2年のセンバツでは2番バッターとして優勝を経験した。
実は、この頃から違和感を抱き始めていた。
センバツは主力として出場したが、4試合で15打数2安打、打率1割3分3厘と振るわなかった。春の近畿大会あたりから、いよいよ不振は顕著となり、本来はショートとピッチャーが多い根尾が外野も守るようになったことで、宮﨑の出場機会は減っていった。夏に至っては、大阪大会での出場はわずか1試合。甲子園では出番がなかった。
「ショックでしたけど、仕方ないなって。出られない原因がはっきりしてたんで」
野球ノートを通じ西谷に思いの丈を打ち明けることも、チームメートに悩みを漏らすこともなく、宮﨑はひとり原因究明に努める。