甲子園の風BACK NUMBER
“三冠王の兄”村上宗隆が弟に明かした「なぜプロ野球で活躍できたか」…村上慶太・高卒プロ志望の裏に“ヤクルト選手たちとの交流”も
text by
樫本ゆきYuki Kashimoto
photograph byYuki Kashimoto
posted2022/10/06 11:01
プロ志望届を提出した村上慶太。10月20日のドラフト会議で指名を待つ
プロ志望届提出に「迷う部分はあったんですけど…」
9月28日にプロ志望届を提出した。支配下での指名があるのなら、プロ入りを決めるという。慶太の通算本塁打は国体の1本を含めて7本だけだ。コロナ禍で制限があったとはいえ、宗隆が高校時代に打った52本に比べると見劣りする数字である。東海大から社会人野球・テイ・エステックに進み都市対抗出場を目指す長男・友幸のように大学を経て大舞台を目指す道も考えたが、子どものころからの夢であるプロ入りを高卒で表明しようと考えた。悩み、迷いながらも決断できたのは、プロで大きく飛躍した宗隆の一言に背中を押されたからだという。
「自分の中でいろいろ悩みました。もちろん実力まだまだですし、迷う部分はあったんですけど、兄ちゃんや親と話したときに『もし支配下で指名してもらえる可能性があるんだったら、行った方がいい』と言われたので、プロ志望届を出してみようかなと思いました」
九州学院はもともと進学志向が強く、OBのオリックス・小田裕也(東洋大)、阪神・島田海吏(上武大)、横浜・伊勢大夢(明治大)がそうであったように、大学を経てプロというルートがほとんどだった。当時の坂井宏安監督が、ドラフト1位入団した吉本亮(ソフトバンク二軍打撃コーチ)や高山久(西武一軍打撃コーチ)が高卒入団で苦労したのを見て、考えを改めたという経緯がある。2017年にドラフト1位入団した宗隆のケースは異例のことだった。慶太も同じように大学進学を勧められたが、平井誠也監督が「親と本人の強い希望もあった」と話すように、挑戦する気持ちを尊重した。甲子園・3回戦、国学院栃木戦では自らのバットで先制打を放ちチーム12年ぶりのベスト8に導いたが、慶太はあの時に見た甲子園の景色も夢を色濃く描かせる出来事になったと話す。
「プロが使う球場で初めて試合をしたのが、甲子園だったんです。後ろを見た時、スタンドにお客さんがたくさん入ってますし、心の底から思えたんですよね。『試合ってこんなに楽しかったのかー』って。楽しすぎて試合が一瞬で終わった感覚でした。『早く次の試合来い! 早く来い!』と思ったあの経験で、憧れがより強くなりました」