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ヤンチャ集団を“甲子園16強”に育てた「北大津の名将」が現場復帰→就任2年で滋賀制覇「おとなしい子が多い。今はとにかく“褒める”」

posted2022/10/07 06:24

 
ヤンチャ集団を“甲子園16強”に育てた「北大津の名将」が現場復帰→就任2年で滋賀制覇「おとなしい子が多い。今はとにかく“褒める”」<Number Web> photograph by Fumi Sawai

秋季滋賀大会・準決勝に勝利して初の近畿大会出場を決めた彦根総合高校。勢いそのまま初優勝を果たし、宮崎監督(左から2人目)は安堵の表情を浮かべた

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沢井史

沢井史Fumi Sawai

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 新しい風が吹いた瞬間だった。

 秋季滋賀大会・準決勝。これに勝てば来春のセンバツにつながる近畿大会の出場権が手に入る。そんな緊迫した場面で彦根総合高校の選手たちは、マウンドで笑っていた。

 9回表、二死。8回から登板したエース左腕・野下(のげ)陽祐(2年)が対する近江兄弟社高の2番・野村を四球で歩かせた場面で、ベンチから伝令が送られた。監督の言葉を伝えられた途端、選手たちが大爆笑したのだ。

「今日も俺においしい昼ご飯食べさせてくれんのかって言うたんですわ。この場面で俺が怒ってもしゃあないでしょう。北大津の時もそうやったけれど、監督の顔色を窺っているようではね」

 指揮官・宮崎裕也監督は、その場面を安堵の表情で振り返った。かつて無名校だった県立北大津高を鍛え上げて春夏計6度も甲子園に導いた、知る人ぞ知る名将。当時の豪快かつざっくばらんな人柄は今も健在だった。

野球部は2008年創部、目立った戦績はなし

 無失点・無失策の引き締まった試合で初の近畿大会への出場を決めた彦根総合は、続く決勝戦でも瀬田工業高を7-1で破り、初めて滋賀県の頂点に立った。

 同校はもともと女子高で、06年から共学となり現校名に改称。県内唯一の私学の総合学科を設けており、福祉・保育や情報・ビジネス、アート・デザインなどの系列に分かれ、20年にはフードクリエイト科が開設されるなど、将来の仕事に直結した学びを得られる高校だ。

 野球部は08年に創部されているが、滋賀大会の最高成績は3回戦と目立った戦績はなし。学校からほど近いグラウンドは、他の運動部との併用のため週に3度しか利用できなかったという。

 そんな彦根総合に宮崎監督がやってきたのは2020年4月のこと。前任の監督がいたため、監督としてチームの指揮を執ったのは20年8月からだったが、就任の噂を聞きつけた有望な中学生が県内のみならず近隣の県からも彦根総合に集まりだしたという。

 監督就任時は緊急事態宣言を受けて休校や部活動自粛の期間でもあったが、それでも宮崎監督にとって選手たちと一緒に野球の現場に立てることは何よりのエネルギーになった。

 振り返れば、宮崎監督の指導者人生は、膝まで生えたグラウンドの雑草むしりからスタートしていた。

【次ページ】 “ヤンチャ集団”の野球部を10年で甲子園へ

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