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「長嶋茂雄さんに憧れたけど、パワーがなくて…」元高校球児の井手らっきょが草野球でビートたけしと出会うまで「実は銀行員になりたかった」
text by
甚野博則Hironori Jinno
photograph byTakuya Sugiyama
posted2022/09/26 11:02
現在は熊本に住む井手。ビートたけしと交流を深めるきっかけになったのが野球だった
井手 進学校だったんですけど、勉強は全くしなかったですよね。学年で確か400人ぐらい生徒がいて、大体、成績の最下位から10人ぐらいは野球部なんですよ。ベストナインじゃなく、ワーストナイン(笑)。
――進路についてはどう考えていたんですか?
井手 進学校ですから当然のように周囲からも進路の話が出てきます。でもね、僕は現役で大学は絶対受からないって思っていました。これはちょっと浪人しないと大学進学は無理だろうと。僕、日体大(日本体育大学)に行きたかったんですね。やっぱり学校の先生になりたくて。だから現役のときは日体大1校に絞って受験しました。当時の日体大は、学科試験と体力試験がありました。学科試験なんかね、申し訳ないですけど、俺、満点に近い点をとったと思うんですよ。体力試験では、100m、800m、ハンドボール投げとか、いろんな種目をやって、これは絶対試験を通ったなと思っていたんです。でも落ちちゃった。やっぱり全国から来るので、レベルが高いんだなと思いました。
うちの親父が銀行員だったんですよ
――そうして浪人生活が始まったんですね。
井手 浪人したら、今度は遊び癖がついちゃったんですね。今まで野球漬けの生活でしたから、浪人したら遊ぶことを覚えちゃって。親には予備校に行ってくるって言いながら、パチンコに行ったりしていました。ある日、予備校の先生から全然予備校に来ませんよって家に電話がきちゃったこともある。お袋からものすごく怒られて、夏が終わったくらいからやっと勉強し始めました。ただ、もう教育学部とか、ちょっと無理かもしれないって思うようになって。
――目指す進路を変えたんですか?
井手 今度は、商学部とか経済学部に入って、そっちの方に進もうかと漠然と考え出したんです。うちの親父が銀行員だったんですよ。商学部や経済学部に入れば、銀行へのコネクションもあるだろうと。それで私立の久留米大学商学部に進学することになりました。
――大学時代は銀行員を目指したんですか。
井手 その頃は、お笑いの道に進むっていうのもまだなくて、銀行でいいかなぁ、みたいに思っていました。大学では僕、落研(落語研究会)に入ったんです。ものすごく勧誘されて、じゃあ入ってみるかって。新入生が入ると、全部活の生徒たちが大食堂に呼ばれて、新入生歓迎の総会みたいなのがあった。各部から1人ずつ代表でネタをやらなきゃいけなくて、落研の先輩から何かやってくれよと言われて、「じゃあ、ものまねやります」と。僕の前に、茶道部の1つ上の先輩が、ものまねをやってワ~っと会場が盛り上がったんですよ。この人すごいなぁって思って。その後、今度は自分がものまねをやったんですね。すると、ブワーッと会場中がウケたんです。そうしたら、さっきの茶道部の先輩が近寄ってきて、「お前、すごいな!」って。それで、「ちょっと、ものまね研究会を作らないか」って言われて、それで愛好会みたいなのを作ることになったんです。