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「長嶋茂雄さんに憧れたけど、パワーがなくて…」元高校球児の井手らっきょが草野球でビートたけしと出会うまで「実は銀行員になりたかった」 

text by

甚野博則

甚野博則Hironori Jinno

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2022/09/26 11:02

「長嶋茂雄さんに憧れたけど、パワーがなくて…」元高校球児の井手らっきょが草野球でビートたけしと出会うまで「実は銀行員になりたかった」<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

現在は熊本に住む井手。ビートたけしと交流を深めるきっかけになったのが野球だった

 井手 野球だけだったですね。小学校の頃からプロ野球選手になりたいと思っていて、もちろん中学生になっても、プロを目指していました。長嶋さんに憧れていて、ジャイアンツに入りたかったんですよ。僕らの小学校の頃って、テレビは巨人戦くらいしかやってなかったですからね。

――高校に入ってもその夢は変わらず?

井手 やっぱりプロになりたいって夢は高校でも持ち続けていました。だから野球部に入りました。だけど、野球をやっていくうちに段々と自分にはパワーがないと気づき始めたんです。高校の時、100m走が11秒後半か12秒ぐらいでした。すげえ速いっていうほどではなかったし、やっぱり身体も小さかったし、何よりパワーが足りないと思っていました。うちの4番打者がすごいパワーの持ち主でね。僕らの頃の野球は、地元では熊工(熊本工業高校)が強かったんですが、熊工の監督がうちの4番に惚れていたほどです。その4番のパワーを間近で見て、俺にはこんなパワーはないし、やっぱりプロは無理だよなと思い始めたんです。

体育教官室でものまねをやらされたりしていました

――プロ野球選手を諦めた?

井手 実はその頃から、体育の先生になりたいと思い始めたんですよ。通っていた高校に、大学を卒業したばかりの若い先生が多くて、何かいいなと。数学とか英語の先生は授業以外に顔を会わせることはあまりなくても、体育の先生は、向こうから声をかけてくれたりして。「ちょっと体育教官室に遊びに来い」とか言われて、親しみやすかった。そんな体育の先生を見ていて、あんな風になれたらいいなと思っていたんです。

 体育の先生に声をかけられると、怒られるんじゃないかってイメージがあったんですけど、先生はよく「お茶飲みに来い」と声をかけてくれて。僕は昔から人を笑わせることが好きで、例えば学校の昼休み、仲良くなった売店のおばちゃんに断って、売店のちょっとしたスペースで、ものまねタイムとかやっていたんです。西城秀樹さんだったり、『巨人の星』のものまねをしていたので、体育の先生が「遊びに来い」と言って、体育教官室でものまねをやらされたりしていましたね。

――人気者ですね。

井手 ホームルームの時間に担任の先生が「今日、ホームルームで何やりたい」と言うと、みんなが、僕のショーを見たいと言って。1人で1時間、ワンマンショーをやったこともあります。

日体大を受験も、不合格に

――野球部以外のスポーツはどうでしたか?

井手 僕は短距離派ですけど、マラソンも強かったんですよ。全校生徒が集まるマラソン大会が年に1度あって、陸上部も参加する中で、僕は5位以内に入っていた。そのおかげで、高校2年生のときには、高校駅伝の県大会にも出たんです。野球部だったんですが、陸上部の先生から出てくれと言われましてね。

――勉強は?

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