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新日本プロレス&スターダムの合同興行が話題だが…32年前、“日本初の男女ミックスドマッチ”を導いた男「こんな試合やめちまえ!」

posted2022/09/02 17:00

 
新日本プロレス&スターダムの合同興行が話題だが…32年前、“日本初の男女ミックスドマッチ”を導いた男「こんな試合やめちまえ!」<Number Web> photograph by AFLO

L)日本に男女混合団体を定着させた大仁田厚、R)日本初のミックスドマッチにも出場した工藤めぐみ

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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AFLO

 11・20有明アリーナで初めて行われる新日本プロレスと人気女子プロレス団体「スターダム」の合同興行が、ファンの間で賛否両論を呼んでいる。

 同大会では、新日本の象徴である「IWGP」の女子王座が新設され初代王者が決定。また新日本とスターダムの選手がそれぞれタッグを結成して対戦する男女ミックスドマッチが3試合組まれているが、その2点について主に新日本ファンからの反発が大きいようだ。

女子と男子が互いに交わらなかった歴史

 そもそも日本における男子と女子のプロレスは、その黎明期から相容れない関係であり一種の“混ぜるな危険”案件であった。

 日本の“プロレスの父”である力道山が、「ガーターベルト争奪戦」などお色気要素の強い見せ物的な舞台をルーツのひとつとする女子プロレスを毛嫌いしていたのは有名な話。その力道山に忖度する形で、プロレスを扱う活字メディアは女子プロレスをほとんど報道しなかった。そんな風潮は80年代前半まで続き、スポーツ新聞はおろかプロレス専門誌でも女子プロレスが掲載されることは少なかったのだ。

 また、力道山の死後も男性のプロレスラーやプロレスファンは、長らく女子プロレスを蔑視していたところがあった。

 1974年、TBSの放送を打ち切られた国際プロレスに、東京12チャンネル(テレビ東京)が救いの手を差し伸べた際、視聴率テコ入れのため女子プロレスの試合をプログラムに入れるなら定期放送をするという条項が入れられていた。そのため国際プロレスは「女子部」を設立したが、その際も国際のレスラーたちから、「それだけは勘弁してくれ」と反発の声が上がったのだ。

 一方で女子プロレスのほうも、70年代末のビューティ・ペアや80年代半ばのクラッシュ・ギャルズの人気もあり幾度か大ブームを巻き起こしたが、ファン層は女子中高生が中心。女子プロレスは大好きでも、男のプロレスにはまったく興味がないというファンが大半だった。日本において男のプロレスと女子プロレスは、同じ「プロレス」でありながら、長らくまったくの別ジャンルだったのである。

変化のきっかけを作ったのは大仁田厚だった

 それが80年代末から90年代に入ると、男と女のレスラーが同じ興行で試合をすることが珍しいことではなくなっていく。そんな流れが生まれた背景には、あの大仁田厚が深く関わっていた。

【次ページ】 「こんな試合やめちまえ!」大仁田に浴びせられた罵声

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