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《追悼》タイキシャトルは日本競馬史上もっとも偉大なマイラーだった…クールな岡部幸雄が涙ながらに語った「ジャックルマロワ賞に勝てて、ほんとうに…」 

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江面弘也

江面弘也Koya Ezura

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photograph byNIKKAN SPORTS

posted2022/08/20 06:01

《追悼》タイキシャトルは日本競馬史上もっとも偉大なマイラーだった…クールな岡部幸雄が涙ながらに語った「ジャックルマロワ賞に勝てて、ほんとうに…」<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

24年前の1998年8月16日、ジャックルマロワ賞を制したタイキシャトル。その競走馬としての歩みを振り返ると…

〈Japan2、Europe0〉

 90年代になると海外に遠征する日本馬も増えていて、94年にフジヤマケンザンが香港カップ(当時はGⅡ)に勝っているが、欧米ではGⅡGⅢでの2着3着が精一杯だった。それがいきなり、フランスの夏競馬を彩る名物レースを日本馬2頭が制してしまったのだから、ヨーロッパの競馬関係者は驚いたことだろう。

「有馬記念に出てほしい」という声も

 帰国したタイキシャトルは、マイルチャンピオンシップも2着に5馬身の差をつける圧勝だった。その強さに「有馬記念に出てほしい」という声がマスコミやファンから聞こえてきたほどだった。最後のレースとなったスプリンターズステークスは、レースのあとに引退式も用意され、さながら引退興行のような趣だったが、タイキシャトル自身の調子が落ちていたこともあったのか、小差の3着に終わった。

 通算13戦11勝、ジャックルマロワ賞を含めてGⅠ5勝という成績を残して引退したタイキシャトルは、総額15億6000万円(60株)の種牡馬シンジケートが組まれ、北海道浦河町のイーストスタッドと静内町(新ひだか町)のアロースタッドを2年おきに移動しながら種牡馬生活をつづけた。サンデーサイレンスの登場以降、生産界は社台グループに席巻されてしまったが、そのなかでタイキシャトルはウインクリューガー(NHKマイルカップ)、メイショウボーラー(フェブラリーステークス)など日高産の重賞勝ち馬を何頭もだしてくれた。

 日本競馬史上もっとも偉大なマイラーに、感謝を込めて、合掌。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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