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《追悼》タイキシャトルは日本競馬史上もっとも偉大なマイラーだった…クールな岡部幸雄が涙ながらに語った「ジャックルマロワ賞に勝てて、ほんとうに…」
text by
江面弘也Koya Ezura
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2022/08/20 06:01
24年前の1998年8月16日、ジャックルマロワ賞を制したタイキシャトル。その競走馬としての歩みを振り返ると…
アメリカで生まれ、アイルランドでトレーニング
タイキシャトルは1994年3月23日にアメリカ・ケンタッキー州のビッグシンクファームでうまれた。ビッグシンクファームはオーナーの大樹ファーム(当時の代表は赤澤芳樹氏)がアメリカに開設した牧場である。大樹ファームはアイルランドのキルデア州にもストローホールステーブルという育成牧場を所有していて、タイキシャトルも1歳の秋にはアイルランドに移動してトレーニングを施されている。
父親が馬主でもあった赤澤氏は、アメリカに留学しているときに、西海岸で騎乗していた岡部幸雄さんと親交を深めている。そして、岡部さんとのつながりから、タイキシャトルをはじめ大樹ファームの有力馬は藤沢和雄厩舎にはいることになった。
当時、外国産馬はクラシックや天皇賞の出走権がなく、タイキシャトルはそれを前提にして生産され、外国産馬が出走できるマイルのGⅠをめざす血統背景をもっていた。母のウェルシュマフィン(15戦5勝)は赤澤氏の所有馬としてアイルランドとアメリカで走ったマイラーで、岡部さんもアメリカで2度ほど騎乗している。父のデヴィルズバッグ(9戦8勝)はケンタッキーダービー前に故障して引退してしまったが、2着を大きく引き離す衝撃的なスピードは日本にもとどろいていた天才ランナーだった。
クラシックに縁のないタイキシャトルはゆっくりとトレーニングを積まれ、3歳(当時の「4歳」にあたる、以下現在の馬齢で表記する)の2月に藤沢厩舎にはいったが、ゲート試験で不合格になったり、むこうずねを痛がったりして、デビューは4月19日の未勝利戦までずれ込んだ。だが、のちにフランスのGⅠに勝つ馬の能力はとびぬけていた。未勝利戦を4馬身差で勝つと3連勝し、4戦めに首差で2着に負けたが、3カ月ほどの休みを挟んで出走したユニコーンステークスで最初の重賞を制している。