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競馬PRESSBACK NUMBER
「お前はユタカ・タケじゃない!」なぜ競馬学校の教官は“長手綱”にブチ切れたのか…武豊に憧れた元騎手見習いの芸人が明かすオーストラリア時代
posted2022/08/20 11:00
text by
松下慎平Shimpei Matsushita
photograph by
Shimpei Matsushita/Sports Graphic Number
「ユー アー ノット ユタカ・タケ」
オーストラリアでの競馬学校時代に一番聞いた言葉である。
2003年春、騎手になることを夢見ていた私は、ゴールドコーストに拠点をかまえるオーストラリアの競馬学校に入学した。生徒は多国籍で韓国、トルコ、ブルガリア、その他諸々であったが、7割は日本人である。日本の競馬学校は合格率が低く制限も厳しいため、当地の学校が日本で不合格だった者、受験さえできなかった者の受け皿となっていた。入学に際しての条件もなければ、試験もない。入学金さえ払えば、誰でも夢のスタートラインに立つことができるのだ。
履修コースも騎手コースや調教助手コース、その他の競馬に携わる仕事への就職を目指すコースと様々だが、やはりほとんどが騎手志望であり、身長180cm、体重80kg近い乗馬未経験の30歳オーバーの男性から「自分も騎手志望だ」と聞いたときはさすがに驚いた。そんな彼にもハフリンガーという種類の丈夫なポニーが用意され、騎乗レッスンは皆と一緒に行われる。一際体格のいい彼が、一番小柄だがありえないほどムキムキのポニーに跨り悪戦苦闘するレッスン風景は、今でも私の青春の1ページの鮮明な記憶として焼きついている。
騎手志望者にとって「神様」だった武豊
入学して最初のクラス決めでは、自己申告した乗馬技術を基に3つのクラスに振り分けられる。私は入学前に日本で乗馬ライセンス3級を取得していたが、これは乗馬クラブで150鞍前後のレッスンを積めば大体の人が取得でき、クラブの会員であれば子供でもお年寄りでも取得していることが多い。そんな私が競馬学校で一番上のクラスであったことを考えると、入学時の全体のレベルは察していただけることであろう。
とはいえ、私と同じクラスには日本の地方競馬で騎手として既に活動していた者や元調教助手、超有名調教師の息子、牧場の息子や馬術大会の優勝経験者などもおり、同じクラスの中でも明確な差があった。騎乗技術も入学に至る経緯もバラバラな生徒達が、(ごく一部の例外を除き)一様に言われたのが冒頭の言葉「ユー アー ノット ユタカ・タケ」である。
騎手・武豊は当時から私たちの目標、憧れ、そして神様であった。数々のJRA最年少記録を塗り替え、私が渡豪する前年の2002年には、主にフランスに拠点を置いて活動しながらも、タニノギムレットで史上初の日本ダービー3勝目を成し遂げている。入学して最初の自己紹介でめいめいが目標の騎手を発表するのだが、私を含め日本人生徒の9割が「武豊」と答えたのも当然だ。