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「無謀な根性論→ホメて伸ばす」に変わった口論… “鹿実の名将・松澤先生”の家族が語る思い出「遠藤(保仁)くんや松井(大輔)くんの親は」
posted2022/08/11 11:01
text by
粕川哲男Tetsuo Kasukawa
photograph by
Kazuaki Nishiyama
1989年度、鹿実サッカー部は2年ぶりとなる選手権でベスト8に進んだ。キャプテンを務めたのは現在ガンバ大阪監督の片野坂知宏。1つ下にJリーガーとなった笛真人や若松賢治がおり、1年生には前園真聖や遠藤拓哉(遠藤三兄弟の長男、保仁の兄)がいた。
主力の多くが残った翌年は個々の能力に加えチームとしての完成度も高く、2大会連続10回目の選手権でも順調に勝ち進んだ。
帝京、習志野、武南といった関東の強豪を次々と破り、辿り着いた決勝の相手は2度目の全国制覇を目指す国見。その後プロとなる塚本秀樹、内田利広、中口雅史などを擁した九州のライバルとの一戦は、延長戦までもつれ込む激闘の末に国見の優勝で終わったが、鹿実の名前を全国に知らしめるには十分だった。
根性論と最新トレーニングのぶつかり合い
初出場の選手権で1勝をあげた1978年度と同様、地元の歓迎ぶりもすごかった。帰りの機内では「準優勝した鹿実サッカー部が搭乗しています」とのアナウンスに拍手が沸き、鹿児島空港には200人近い出迎えがあった。新聞社の取材が続き、練習を見守る人が増え、日に何通もファンレターが届いた。
全国のトップレベルに仲間入りした鹿実は、1994年にさらなるレベルアップを目指し、ブラジル人のジョゼ・カルロスをコーチに迎える。名門サントスFCでのプロデビュー以降、ポルトガルやFC東京の前身である東京ガスでもプレーした“本物”を加えたことで、指導方法や子供たちに対する接し方も大きく変わっていった。
松澤隆司先生の長男、尚明さんが当時を振り返る。
「最初は喧嘩になったと言っていました。うちの親父はひたすら根性論と反復練習。一方、カルロスにはプロとしてやってきた経験と自信があり、最新のトレーニングも学んでいた。親父の場合、競り合いが弱いと思ったら練習を止めて、ひたすらヘディングの競り合い。パスの精度が低いと思ったら、ひたすらインサイドパス。
するとカルロスが『マツザワ、焦るな。すぐにはできない。俺が見るから任せてくれ』と言う。もしブラジルでそんな教え方をしたら、みんな辞めてしまう。カルロスは時間をかけて同じ練習ばかりだと選手たちが飽きることを知っていたので、短い時間で集中力を保ち、選手たちのやる気を維持していました」
子供たちは、気づけば練習中も笑顔を見せながら
カルロスコーチの練習はバラエティに富み、ゲームの要素が濃かったため、子供たちを惹きつけた。永遠にダッシュを繰り返すような無謀な練習は止め、心拍数を測り、科学的データを示すことで選手たちの成長を促した。
そして、なにより変わったのが、選手たちを褒めて伸ばす指導法である。