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「ヤカンの水をかけて…今なら本当にダメ(笑)」「僕、1回逃げ出したことが」前園真聖と松井大輔が忘れない“鹿実での地獄な青春”

posted2022/08/11 11:03

 
「ヤカンの水をかけて…今なら本当にダメ(笑)」「僕、1回逃げ出したことが」前園真聖と松井大輔が忘れない“鹿実での地獄な青春”<Number Web> photograph by Masakazu Yoshiba

鹿実時代のユニフォームを持つ松井大輔と前園真聖

text by

粕川哲男

粕川哲男Tetsuo Kasukawa

PROFILE

photograph by

Masakazu Yoshiba

坊主頭、下宿生活、先輩たちの愛情溢れる指導、永遠に思える走り……。自身の礎を築いた原点で、いつだって思い出してしまう濃密過ぎる3年間。鹿実が誇る2人の天才が高校時代を語り合う。Number995号掲載『<名門高校OB対談>鹿児島実業・前園真聖×松井大輔「忘れもしない地獄の日々」』より全文掲載します(全3回の3回目/#1#2も)。

「下下宿」と「上下宿」があるんだよな

前園 ユニホーム、よく持ってたね。

松井 実家にあったんですよ。親父が残しておいてくれたんです。

前園 すごいな。俺は実家にもあるかどうかわかんない。

松井 送って欲しいって頼んだら、「送料500万」って言われましたけどね(笑)。

前園 懐かしいなぁ。でも、俺と大輔は8歳違い。かなり違うと思う。もう共学?

松井 そうです。ヤットさん(遠藤保仁)のときから共学になったんですよ。

前園 校舎も立派なところに移ったあとだね。下宿は?

松井 最初の1年は下にいて、そこから上に移りました。

前園 「下下宿」と「上下宿」があるんだよな。上下宿は坂を上らなきゃいけないから結構大変。夏、はらら温泉入って上に上がると、もう汗かいてたでしょ。

松井 そうそう。

前園 そこからまた水浴びるってやつね。

松井 やってました(笑)。

監督にめちゃめちゃ褒められて。それで…

前園 そもそも、大輔はなんで鹿実だったの? 選択肢がいっぱいあったでしょ。

松井 奈良育英、京都サンガ、ガンバ大阪とかの練習に参加して京都より西に行こうと決めてたんですよ。市船(市立船橋)からもオファーがあったらしいんですけどね。

前園 関東は考えてなかったんだ。

松井 チャラつくのが嫌だったんですよ。西に西に進んで行って、最後東福岡で終わろうと思ってたんですけど、あんまり欲しそうじゃなくて……。みんなから「欲しい、欲しい」言われてきたのに、「なんだよ」みたいになって。

前園 国見は?

松井 考えてませんでした。そんなとき友達が行くっていうから一緒に鹿実に行ったら、(松澤隆司)監督にめちゃめちゃ褒められて。それでだまされたってやつですね(笑)。

前園 そこは絶対に欲しいからね。

松井 ゾノさんは?

前園 地元の一番強い高校で選手権に出たいって思いからだよね。俺らの時代はテレビで見られるサッカーは選手権くらいだったから、あの舞台に立ちたいって思いが強かった。帝京の礒貝(洋光)くんとか国見の内田(利広)さん、高校では南宇和。活躍した選手や強い高校は印象に残ってる。鹿実は、そこまでインパクトのある選手がいなかったけどね。

松井 僕は2つ上、ヤットさんたちが出てた選手権は覚えてますね。

【次ページ】 練習、なんとなく知ってましたが…行ったら地獄(笑)。

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