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グレートマジシャンに私たちは夢を見た…生涯わずか5戦、ダービー4着、藤沢和雄元調教師も「この馬は凄いぞ」と評した“異次元の末脚”を忘れない
text by
田井秀一(スポーツニッポン)Shuichi Tai
photograph byPhotostud
posted2022/08/12 11:00
7月30日、関越Sに出走したグレートマジシャン。昨年の日本ダービー以来1年2カ月ぶりのレースだった。通算5戦2勝
セントポーリア賞から毎日杯、日本ダービーへ
今年、競馬の殿堂入りにあたる顕彰者に選出された藤沢和雄元調教師もグレートマジシャンの走りに心を動かされた一人だった。セントポーリア賞の数日後、宮田調教師が「レース後にあれだけの馬を育ててこられた藤沢先生から“この馬は凄いぞ”と言っていただけた。凄くうれしかったです」と充実の表情を浮かべていたことが思い出される。ソエ(成長途上の若駒に多い炎症)をケアしながら、調教の負荷を上げきっていない中での勝利だったことも無限大の潜在能力を感じさせた。
ただ、心身ともに未完成であることから無理はせず、3歳クラシック1冠目の皐月賞の出走は目指さずに、GIII・毎日杯から2冠目の日本ダービーへ向かうこととなった。
その毎日杯では単勝1.9倍の圧倒的1番人気に支持された。グレートマジシャンはその期待に違わぬ走りを見せ、阪神競馬場の芝1800mを日本レコードタイ(当時)の1分43秒9で駆け抜ける。しかし、同タイム、わずか首差だけ前にシャフリヤールがいた。「バケモノがいた。勝った馬が強かった」とは当時のルメールの談。シャフリヤールは次戦の日本ダービーを優勝し、翌年には海外へ飛び出しドバイシーマクラシックを制すのだから鞍上の言葉は的確だった。ただ、その“バケモノ”と同タイムで叩き合ったグレートマジシャンもまた特別な存在であることを証明した重賞初挑戦でもあった。
ダービーは頂点まで0秒2差の4着
キャリア4戦目で臨んだ日本ダービーはデビュー以来、初めて1番人気を譲ったが、それでも3番人気。育成段階では同期に大きく遅れを取っていた馬が、2018年に生まれたサラブレッド7398頭の頂点を決める一戦で、ファンから3番目に多い支持を受けるまでになっていた。