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甲子園の風BACK NUMBER
「何のために野球をやってきたのか」“出場するはずの甲子園”が中止→野球部の解散危機…あの磐城高エースが「マウンドで涙が止まらなかった」理由
text by
元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph bySankei Shimbun
posted2022/08/09 17:00
2020年6月、センバツに出場するはずだった32校による交流試合の開催が決定。それを受けて意気込みを語る磐城高・岩間涼星主将(右)
マウンドで「涙がとまらなかった」理由
甲子園交流試合では国士舘(東京)に3対4で敗れた。それでも、ライトからの好返球、キャッチャーの盗塁阻止など随所に光るプレーを見せた。
「あの夏の前、ひじを壊してチームに迷惑しかかけてなかった。『野球を続けよう』と言った僕がそんな状況で、みんなに対して後ろめたい気持ちがありました。甲子園交流試合では、ブルペンで1球投げた瞬間に激痛が走りましたし。あの試合を投げ切れたのが不思議なくらいの状態でした。やっぱり……」
一呼吸置いて沖が続ける。
「みんなに助けてもらったんです。仲間たちのいいプレーがたくさん出て。特にライトの樋口(将平)が本塁でアウトにしたレーザービームなんて、練習でも一度も見たことなかった。実はあのイニングの前に、もう1点取られたらピッチャーを代えると監督さんに言われていたんです。それを阻止してくれたバックホームでした。
甲子園では一番高いところ(マウンド)に立っていましたから、笑顔でやり切ろうと決めていたんですけど……。あのバックホームの瞬間に泣いてしまって。汗を拭うふりをして隠しても、マウンドで涙が止まらなかったんです。助けてもらってばかりだなって」
「甲子園のない夏」を戦い終えた沖は感謝の気持ちでいっぱいだった。
「もちろん、負けて悔しい思いはありましたが、『甲子園は勝たないといけない場所』ということを後輩たちに見せられたんじゃないかと思います。本当に、いろいろな人に支えられた夏でした。そのおかげで、苦しいこともあったけど、練習でも試合でも、前向きでいられました」
福島に戻った沖は次のステージに目標を切り替えた。立教大学に指定校推薦で入学することが決まっていたが、磐城では生徒全員が大学入学共通テストを受けることになっているため、勉強しながら野球の練習を続けた。
「指定校推薦で大学に入るわけですから、勉強をおろそかにするわけにはいきません。仲間に助けてもらった分、後輩たちに何かを残したいという思いで練習も続けました」
最後まで文武両道を貫いた沖は立教大学に入学した。
<後編へ続く>
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