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甲子園の風BACK NUMBER
「何のために野球をやってきたのか」“出場するはずの甲子園”が中止→野球部の解散危機…あの磐城高エースが「マウンドで涙が止まらなかった」理由
text by
元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph bySankei Shimbun
posted2022/08/09 17:00
2020年6月、センバツに出場するはずだった32校による交流試合の開催が決定。それを受けて意気込みを語る磐城高・岩間涼星主将(右)
「センバツが中止になったと聞いて一番に考えたのは、応援してくださる方々のことでした。地域の方や高校の先輩方が来られて、甲子園のアルプスが(スクールカラーの)コバルトブルーで染まる。甲子園出場が決まった時、そんな光景を想像していたので……。応援してくださる方々に甲子園での試合を見てもらえないことが残念でたまりませんでした」
その2カ月後、センバツだけでなく夏の甲子園の中止が発表された。米騒動による1918年、第二次世界大戦の最中だった1941~45年以来の「事件」だった。
「もちろん、誰のせいでもありません。だからこそ、どこにもぶつけようのない憤りを感じました。こんなことが起きるものなのか、と」
「何のために野球をやってきたのか」
1971年夏の甲子園で準優勝した実績のある磐城は、福島県で有数の進学校として知られている。
「僕とキャプテンの岩間涼星(法政大学)は大学でも野球を続けることを決めていたので、前向きに考えようと努められたのですが……。進路の決まっていない選手、高校で野球を辞める選手は受験のことも考えないといけない。そうした同級生の状況も理解できるからこそ、難しい状況でした。『何のために野球をやってきたのか』という難問を突きつけられた気がします」
甲子園という大きな目標以外に目指すものがあるのか? マネージャーを含めて13人の同期で話し合っても、この問いに答えられる者はいなかった。
「実際、『甲子園がなくなったことはつらいけど、気持ちを切り替えて受験勉強に専念したい』と言う選手もいました。大学で野球を続けることを決めていた僕たちのほうが少数派でしたね」