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常総学院も中京大中京も広陵も…夏の“甲子園予選”、まさかの波乱はなぜ起きる? 元球児の証言「いきなり初戦先発って…冗談じゃないですよ」
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph bySankei Shimbun
posted2022/07/20 17:14
茨城大会2回戦、常総学院が、科技日立に5対6で敗れた。常総学院が夏の大会で初戦敗退するのは1984年に初出場して以来、初めてだという(※写真は昨年の茨城大会で撮影)
「高校3年の夏、初戦に先発だって言われたんですよ。自分、控えだったから、たぶん監督が先を見越して、相手が弱い最初の2試合ぐらいは控えでいって、シード校が出てくるまで、エースをとっておこうとしたんですね。当時、ウチは絶対的エースがいて、同じぐらいの力の控え投手が4人もいたから、“二番手”っていっても、実戦のマウンド経験なんて、いくらもないんですよ。それが、いきなり甲子園予選の初っぱなで先発だって言われても、冗談じゃないですよね……エースだって、口から胃袋が出そうになるっていう1回戦ですよ」
そう言って、懐かしそうに笑っている。
「ウチの監督、野手出身だったから……僕が監督だったら、絶対そんなことできない。ピッチャーの気持ち、わかりますからね」
その話を聞いてから、そうした状況に遭遇すると、監督さんの“球歴”を確かめるようになった。全部が全部とは言わないが、「夏初戦で控え投手先発起用は、野手出身の監督説」は、かなりの確率で成立することがわかっている。
もちろん監督さんも監督さんで、組み合わせ表をにらみ、チームの戦力を思い描きながら、最良の策をめぐらせた結果なのだろう。
エース温存で予想外の劣勢に陥り、そのまま無念のゲームセット。そんな展開の試合が、毎年、何例かあるものだ。
誰を責めるわけにもいかない。勝負事には、どんな場合にも、たいてい「格上」と「格下」とあって、それは決してそのまま勝ち負けにつながるとは限らない。
勝負をするのは、必ず「人間」であり、そこには必ず「煩悩」が存在するからだ。思い違い、カン違いに、はき違い。油断、慢心、思い上がり。さまざまな、いかにも人間らしい心の揺れがある。
「私の力不足で、選手たちを勝たせてあげられなかった……」
よく耳にする監督さんたちの苦渋のコメント。
いやいや、それは違う。試合の勝ち負けは、どんな場合でも、選手たちの手の中にあるものであり、もう一つは、球場上空から試合のゆくえを見守っている野球の神さまのご機嫌をそこねないように、試合に参加しているみんなが、それぞれの役割で、真摯なプレーを全うできるかどうか。
そこをちょっと見誤った時、アップセットという想定外の現象が起きて、ジャイアントキリングなるものが登場してくるのかもしれない。