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マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
「ピッチャーかわいそう」批判も…夏の甲子園で衝撃だった24年前“延長15回サヨナラボーク”、現役高校球児(審判志望)は「素晴らしいです」
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph bySankei Shimbun
posted2022/07/18 11:02
1998年夏の甲子園、宇部商vs豊田大谷高。延長15回裏0死満塁の場面、藤田修平投手のボークで宇部商がサヨナラ負けに。写真はボーク宣告の瞬間
無死満塁のピンチ、そこで宇部商の左腕・藤田修平投手の投球動作がボークにとられ、サヨナラゲームとなった。
「セットポジションに入りかけて、いったん止めて、またキャッチャーのサイン見にいって……」
生まれるずっと前の出来事なのに、牧野君、当時の映像を見て知っていた。
「審判って、見なかったことにして流しても、なんにも言われないんですよ。
甲子園にまで出てきたピッチャーに、なにもボークみたいなんで勝敗決さなくても……そんな声もあったと聞いてます」
牧野君の理解は深い。
「かわいそうとか、もう一度チャンスを……とか、そういう人としての情と、審判としてルールと厳粛に向き合ってフェアにジャッジするという使命と、両方がぶつかり合う場面なんて、しょっちゅうです。でも、そこを乗り越えて、ボークのジャッジができた林さんはすばらしいです」
審判員の名前まで知っていた。この試合、球審をつとめていた林清一審判。
早稲田大学野球部OBで、甲子園でも、東京六大学でも、都市対抗野球でもジャッジをふるい、後には国際審判員にもなったアマチュア野球審判員の第一人者である。後年、林球審は私にこんな話を聞かせてくれたことがある。
「あの場面、一瞬いろんな思いが交錯したが、ここでボークをとらなければ、自分はこの先、審判を続けられないと思った」
林球審とは、早稲田大学野球部に同期で入部し、筆者にとって、誇らしい同期生にあたる。
「高校球児がこれほど真剣に“審判”の勉強をしている」
「実は、私自身も、ボークで負けてるんです、甲子園で」
京都外大西の上羽監督、同高2年生のセンバツでのことだった。延長の一、三塁で一塁走者のスタートに、モーションに入ろうとした投手の足の動きが止まった。
相手は富山・新湊高、強打の京都外大西が18安打を放っても1点しか取れない試合だったという。
「ウチの西村みたいな選手が、すごい、すごいって、メディアに取り上げてもらうことは、昔からよくありますけど、高校球児が“審判”という分野で、こんなに真剣に勉強していて、技量も高い……そういう話は聞いたことないです。牧野を見ていると、今までいなかった『誰からも知られるような審判』の最初のひとりになれるんじゃないかと思ったりすることがあります。幸いにして、そうなった時、高校時代からこんなにすごい審判だったんだ……って記録が、このコラムとして残ることがすばらしい。私も高校野球の指導者として、こういう『人の残し方』もあるんだなぁ……って、思いますね」
現在、審判員の希望者が少なく、その絶対数確保に困っている大学リーグは、東京六大学をはじめとして、とても多いと聞いている。だから、これを機に球児たちの中からも、たくさんの審判希望者が現れることを……なんて、たいそうなことを叫びたいわけじゃない。
どうしても、選手ばかりがライトを浴びがちな高校野球の現場から、自らの興味や関心を見つけ、見定めて、チームの中に立ち位置を見いだし、第一人者にならんと懸命な努力を続ける「牧野君」のような存在がいること、そして、縁あって出会えたことに、私自身が感動しているのだ。だから、どうしても伝えたかった。ただ、その思いだけである。
<前編から続く>