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PL学園はなぜ“最強チーム”になったのか? 清原和博氏の始球式、コーチの配置転換…中日・立浪監督“賛否の決断”に宿る母校の教え 

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小西斗真

小西斗真Toma Konishi

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photograph bySankei Shimbun

posted2022/07/07 11:01

PL学園はなぜ“最強チーム”になったのか? 清原和博氏の始球式、コーチの配置転換…中日・立浪監督“賛否の決断”に宿る母校の教え<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

7月2日の中日対阪神戦で清原和博氏が始球式を務めた。その実現に尽力したのは、同じPL学園OBの立浪和義監督だった(写真は今季キャンプ時)

 通常、中継が終われば解説者は球場を出る。それでも番記者が、清原さんの囲み取材を要望すると、いつも清原さんは快諾した。「復帰戦」をお膳立てしてくれた立浪監督への恩返しだった。しかし、コロナ禍では部外者がグラウンドに下りることはできない。解説者席とグラウンド。唯一の例外である始球式によってその距離を埋めたのも立浪監督だった。

PL学園の不思議な魅力…「強さ」と「つながり」

 清原さんと立浪監督。2人をつなぐ「永遠の学園」には不思議な魅力がある。現在でいえば大阪桐蔭のように、甲子園を我が庭としていた超強豪校だが、それもすっかり昭和の伝説になった。最後に全国制覇したのは立浪監督たち33期生の1987年。最後の甲子園は55期生の2009年。そのわずか7年後、62期生の2016年を最後に公式戦には出ておらず、休部とはいえ実質的に廃部であることは誰もが気づいている。野球少年からすれば福留孝介や前田健太なら知っているが、彼らの母校にそんな時代があったとは知らないはずだ。想像上の怪物チーム。あの強さを自分の目で見たり、感じたりしたことはないのである。

 ではなぜ、かつてのPL学園はあれほどまでに強かったのか。その理由をひとつ挙げるとすれば、「自分たちを信じ抜く力」にあった。

 グラウンドには神様が宿っている。昭和の球児の多くは、そう信じていた。PL教団が運営するPL学園は言うまでもない。甲子園を席巻していたころ、選手がユニホームの胸の部分をギュッと握るシーンが印象的だった。あれは「おやしきり」と呼ばれる。ユニホームの下にはアミュレットというお守りは確かにあるのだが、実は「ここで打たせてください」と願い、すがっているわけではない。「いつも通りの力を発揮します」と誓っているのである。信じ抜くことによって、あの強さは生まれた。

【次ページ】 賛否ある決断の数々…その根源にあるもの

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