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PL学園はなぜ“最強チーム”になったのか? 清原和博氏の始球式、コーチの配置転換…中日・立浪監督“賛否の決断”に宿る母校の教え
posted2022/07/07 11:01
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph by
Sankei Shimbun
7月2日のバンテリンドームナゴヤは、試合前から一気にボルテージが上がっていた。中日対阪神戦の始球式に登場したのが清原和博さん。ドラゴンズのユニホーム姿で、背番号は2022。投げた球はショートバウンドし、スピードは59kmだった。
中日の立浪和義監督はPL学園の2学年後輩。対する阪神の矢野燿大監督も、同じ大阪の桜宮高で1歳違い。桁違いのパワーと圧倒的な強さ――2人にとって、あの「甲子園は清原のためにあるのか」という名実況は、自分たちとは全く別の、夢の世界に住むスーパースターに向けられた賛辞だった。
しかし、この始球式に感謝していたのは清原さんの方だった。投球後に取材対応した言葉を、放送、通信、新聞各社は速報で伝えている。
「グラウンドに下りる日は一生ないと思っていた」
「今日という日を忘れずに、感謝したい」
「自分は何千と試合に出ましたけど、まるで雲の上を歩いているようなフワフワした気持ちでした」
清原和博氏がグラウンドに立てた理由
豪快なホームランをかっ飛ばし、番長と呼ばれ、肩で風を切って歩いていたスーパースターが、始球式でグラウンドに立てたことに心から感動していた。なぜ「グラウンドに下りる日は一生ない」と思っていたのか。もちろん自業自得である。しかし、罪を憎んで人を憎まなかった後輩が、再び下りる道筋をつくった。2月下旬に沖縄キャンプに招いたのが、清原さんにとっていわば野球界への「復帰戦」だと筆者は書いた。この招待を境に、在名テレビ、ラジオ局を中心に、中日戦の解説の仕事が入るようになった