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中田英寿45歳は今の森保ジャパンをどう見ている? あのブラジル戦後の本音「意志を持った選手がいないとどうにもならない、限界がある」
text by
金子達仁Tatsuhito Kaneko
photograph byTsukuru Asada
posted2022/07/07 17:05
今年6月の日本対ブラジル戦後にインタビューに応えた中田英寿
「よくあんな凄いヒトにケンカ売ったと思うよ、我ながら」
インタビューが終わったあと、彼はそう言って苦笑した。いまではすっかり和解しているらしい「あんな凄いヒト」とは、阪神ファンにはちっとも凄さがわからないし、わかりたくもない読売新聞のドンのことである。ただ、Jリーグ発足時、チームに企業名を入れるか否かで川淵とその方が激しい、いや、激しすぎる舌戦を繰り広げたことは、もちろん多くの人が知っている。
チーム名から企業名を外す。その発想自体は、ヨーロッパからの移植である。ただ、およそ日本には馴染みのなかったこの発想を、Jリーグの柱にしようと考えたのは川淵だった。そして、この柱を守るために、Jリーグ発足当時54歳だった彼は、総理大臣のブレーンを務めたこともある「知の巨人」に、真っ向から思想闘争を挑んだのだった。
Jリーグを成功に導くために、川淵三郎は必死になって考えた。そして、考えを守るために蛮勇を振るった。そうした経歴を持つ人間にとって、昨今の日本サッカー界、特にJリーグの球団トップたちの姿勢がどう映るかは容易に想像がつく。
「やっぱりね、経営者が選手の採用だとか、観客動員に対してどうすべきだとか、クラブの発展に必要なこと、重要なことで積極策に出なかったのが大きいだろうね。こんなこというと嫌われちゃうけど、やっぱりサラリーマン社長が多いのが理由かな。その点、規模が違うという点は差し置いても、Bリーグは自分で決断できるオーナー社長が多い。今度(6月末)辞めちゃうけど沖縄の木村(達郎)さんは日本で最先端のアリーナまで作ったし、秋田の水野(勇気)さん、北海道の折茂(武彦)さんもゼロからクラブを作っているから発想が面白いよね」
新しい日本のスポーツ文化を築くべく立ち上げたJリーグは、いま、日本のスポーツ界に影響を与えるような新しい何かを提供しようとしているだろうか──。
ジョン・マクレーンのことを思い出して考えが変わった。
ただ、中田英寿にしても川淵三郎にしても、日本のスポーツ史に長く名前を残していくであろう偉人である。後輩たちに対する彼らの要求は、不満は、わかったようなつもりになる反面、「でもそれはあなただからできたことでしょ」と感じてしまう自分がいた。中田英寿だから100手先まで読むことができた。川淵三郎だから怯まずに思想闘争を繰り広げることができた。同じことを凡人に求めるのは、いささか酷なのではありませんか、と。
だが、ジョン・マクレーンのことを思い出して考えが変わった。