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「引退する姿が想像できない」武藤敬司が見せた“永遠のプロレスラー”という甘美な幻想…「ゴールのないマラソン」発言の真意とは?
text by
原壮史Masashi Hara
photograph byMasashi Hara
posted2022/06/22 11:03
6月12日、武藤敬司はさいたまスーパーアリーナのリング上で「来年の春までには引退します」と発表。長年酷使した肉体は限界を迎えていた
「膝同様に股関節も変形していて、いずれは人工関節にしないといけない。そうした時点でもうプロレスはできない」
引退を決めた理由を明かした武藤は、こう言った。
「本当はプロレスやりたいよ。続けていきたい」
「プロレスを続けていく限り、このレースは終わんない」
ファンや関係者が武藤に対して抱いていた「永遠のプロレスラー」という根拠がありそうでない不思議なイメージは、これまでのキャリアから作り出されているものだが、引退表明の挨拶で自ら引用した「プロレスとはゴールのないマラソン」という言葉によるところも大きい。
これは、1992年に『週刊プロレス』のインタビューで飛び出したフレーズだ。名言として浸透するにつれて「ゴールのない」という部分が生涯現役という意味だと認識されるようになったが、もともとは「引退しない」という文脈ではなかった。当時29歳の武藤は、同じだけの時間をプロレスに注いでいる同年代(1962年生まれの三沢光晴、高田伸彦ら)や同期(蝶野正洋、橋本真也、野上彰、船木誠勝ら)の選手たちとトップを争うことを、そう表現したのだ。「いつも意地とプライドで走り続けなくちゃいけない。プロレスを続けていく限り、このレースは終わんない」と。
意地とプライドで走り続けた武藤は、様々な縁を引き寄せてきた。
たとえば、全日本の三沢との若きエース同士の遭遇は、早いうちから期待され続けた。それはまさしくドリームカードだった。「夢のような」ではなく、「夢の中でしかありえない」という意味でのドリームカードだ。当時の新日本と全日本が現実のリングで交わることは、絶対にありえなかった。しかし、2000年に三沢がNOAHを旗揚げすると、2002年には武藤が全日本へ移籍。障壁はなくなり、夢は2004年7月10日のNOAH東京ドーム大会で現実のものとなった。一騎打ちこそ夢のまま終わってしまったが、点は線になり、武藤以外にも縁が広がって今も続いている。