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史上初の電流爆破デスマッチで故・ターザン後藤が味わった“想像以上の威力”とは… 大仁田厚「あれはオレたちが生きるための電流爆破だった」
posted2022/06/12 11:00
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
大仁田厚との史上初の有刺鉄線電流爆破デスマッチから数日が過ぎたころ、筆者はターザン後藤の自宅を訪ねた。後藤は短パン姿だったが、「座れないんですよ」と言う。
後藤は短パンの後ろ側をめくりあげた。やけどで皮膚が赤紫に変色している。それは臀部まで広がりケロイド状にただれていて、痛々しかった。電流爆破に使われたプラスチック小型爆弾は120個で、その一つ一つが爆竹の10倍の威力と言われていたが、これほどまでに後藤にダメージを残しているとは思わなかった。
「壊れても知りませんよ」実験でリンゴが粉々に
台風一過の1990年8月4日、新橋駅に近いレールシティ汐留。ここでFMWの電流爆破マッチは行われた。筆者はリモートコントロール・カメラをコーナーポストに設置していた。2日前に大仁田に電話して許可を求めると、「いいですよ。でもカメラが壊れても知りませんよ」という返事だった。
史上初というなら、ちょっと変わった写真を撮ってやろうという気持ちがあった。だが、見たことがないわけだから、どういう風に爆発するのかわからなかった。爆破実験でリンゴが粉々に吹き飛んだことは知っていた。
電流爆破は有人の操作によるもので、爆破担当者は「至近距離での被爆の危険性」として失明や鼓膜の損傷、火傷を挙げていた。
セミファイナルが終わって電流爆破のリングが設営されているとき、筆者も角度を調整し一脚に固定したカメラを鉄柱にガムテープで取り付けた。こういう撮影には運がいる。肝心なところでシャッターが切れない、ということも何度か体験済みだ。
「耳栓は持ってきてください」
これは大仁田からのアドバイスだった。破裂音が半端ないということだ。この破裂音に体が反応しては写真がブレてしまう。
試合前の観客へのデモンストレーションで火花と音の大きさがわかった。セーフティゾーンが設けられ、リングと最前列は3メートルの間隔があった。それでも4520人の観衆は、爆破の直前には両耳を押さえていた。