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21年ぶり甲子園決勝も1対18…近江・多賀監督に聞く、「近畿で唯一の優勝ゼロ」滋賀県勢には何が足りない? カギは“有望選手の流出”をいかに防ぐか 

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氏原英明

氏原英明Hideaki Ujihara

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posted2022/06/09 11:10

21年ぶり甲子園決勝も1対18…近江・多賀監督に聞く、「近畿で唯一の優勝ゼロ」滋賀県勢には何が足りない?  カギは“有望選手の流出”をいかに防ぐか<Number Web> photograph by Hideaki Ujihara

近畿勢で唯一、全国制覇の経験がない滋賀県勢。この春のセンバツの戦いを振り返りながら、滋賀県勢に何が足りないのか、近江・多賀章仁監督に聞いた

「そりゃ、今回で言えば、大阪桐蔭のエース格だった前田(悠伍)くんは滋賀県の出身。彼がきてくれれば変わっていたでしょう。2001年にしても、滋賀県には松田兄弟がいました。(その弟が)ソフトバンクの松田(宣浩)選手です。PLに進み、のちに阪神に入った桜井(広大)くんも滋賀県出身です」

 ほかに、則本昂大(楽天)も滋賀県勢。自らのリクルート不足とはいえ、滋賀県勢には優れた人材がいないわけではないのだ。しかし、彼らとともに滋賀代表として戦えない状況だった。

 やはり人の流れは重要だ。

 現在のチームにしても、近江の滋賀大会、そして甲子園での戦いぶりを見て集まった選手たちといえる。結局、人材流出を防げるだけの要素を甲子園の戦いから見せなければいけないのだ。

21年前の準優勝時は「日本一を目指していなかった」

 2001年の甲子園準優勝は、いわば、フロックだった。

 当時は清水信之介、島脇信也(元オリックス)、竹内和也(元西武)という3人の違ったタイプの投手の継投で勝ち上がったチームだった。「3本の矢」としてメディアに騒がれたほどのチームだったが、これは昨今、話題になる投手の健康面を考慮してのことではなかった。

 多賀はいう。

「あの時の3人の継投は決して甲子園で勝つことを目指した戦術ではなかったんです。当時の滋賀県は八幡商業が強くて、一人の投手では勝てないだろうということで、3人の投手で繋いでいこうと。そこで生まれた戦術だったんです」

 当時、滋賀県勢は甲子園で6連敗中。うち3度に近江は絡んでいたとあり、甲子園での1勝は必然的に目指しているものだった。当初は継投策を止める予定でいたが、「県大会の流れを大事にしよう」と同じような戦術で戦ったところ、あれよあれよ、と勝ち上がったのだった。

 決勝の相手は、のちに4人のプロを出した日大三だった。

 しかし、多賀が強力打線を前にして思ったのは「恥じない試合をする」というとてつもなく低い目標だった。優勝を目指していなかったのだ。

 多賀は21年前の采配を今になってこう悔いている。

「僕はあの時、日本一を目指していなかったんです。甲子園を勝ち上がることも初めての経験で、決勝戦にたどり着いた。恥ずかしくない試合をしたいだけでした。本来ならもっと違う起用法があったし、勝つための試合をするべきでした」

有望選手がきても甲子園で勝てない…転機は17年夏

 もっとも、そうした経験はきっかけに過ぎない。

 甲子園準優勝は大きな財産で、大事なのはその後からだった。

【次ページ】 18年夏、金足農に敗れるも林&有馬バッテリーを見て…

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