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野球善哉BACK NUMBER
21年ぶり甲子園決勝も1対18…近江・多賀監督に聞く、「近畿で唯一の優勝ゼロ」滋賀県勢には何が足りない? カギは“有望選手の流出”をいかに防ぐか
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byHideaki Ujihara
posted2022/06/09 11:10
近畿勢で唯一、全国制覇の経験がない滋賀県勢。この春のセンバツの戦いを振り返りながら、滋賀県勢に何が足りないのか、近江・多賀章仁監督に聞いた
もっとも、多賀自身は今年のチームに可能性を感じていた。
センバツ出場校の発表日まで本気で日本一を目指していたし、「(選出を)100%疑わなかった」と振り返っている。
つまり、大会への準備に関してはそれほど遅れをとることはなかった。それが破竹の勢いで勝ち上がった要因だ。
「1回戦を乗り切ったこと、準決勝の浦和学院戦を勝ち切ったのが大きかったですね。山田はともに170球近くを投げたわけですけど、終盤は打たれる気がしなかったですから」
賛否を呼んだ山田の“死球→続投”…その時、現場は?
準決勝ではエースの山田が左足首に死球を受けて、全力で走れないほどの状況だったが、それでも投げ切った。ただ、この登板には賛否両論が渦巻いた。筆者を含めて無茶な登板だと指摘する声も少なくなかった。
現場はこうだった。
「あのときは、高野連の方もお医者さんも、理学療法士も来た上での判断でした。お医者さんは本音を言いたいけど、高野連の役員さんはなんとか山田を出させてあげたい、そんな空気がありました」
その空気を察知したかのように、山田が放った言葉が決定打となった。
「走ることはできませんが、投げることはできます」
入学から山田と付き合ってきて、こうなったらマウンドを譲らない男だということは多賀本人がわかっていた。
昨夏がそうだった。2回戦の大阪桐蔭戦。その日の先発だった山田は3回で4失点。調子が良くないとみた多賀は一度、山田に交代を告げている。ところが「もう少し投げさせてほしい」と懇願してきたのだった。すると、4回から6回まで、見違えるようなピッチングを見せたのである。
この流れに逆らうわけにはいかない。
そんな中での続投だったというわけである。
とはいえ、決勝戦では、山田は本来のピッチングをすることができずに敗れた。滋賀県勢にとって2001年夏以来となるファイナルの舞台だったが、湖国の悲願はそうして潰えた。
近畿で唯一“優勝未経験”…人材流出をどう防ぐか
2度目の準優勝旗を手にしたわけだが、前回は、3人の投手を駆使して戦ってのものだった。つまり、複数投手を敷いても、絶対的エースを擁立しても勝てなかったということになる。近畿で唯一、優勝校を出していない滋賀県勢には何が足りていないのか。