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アントニオ猪木79歳はなぜ青森に「墓」を建立したのか? 病との闘いと亡き“ズッコさん”への思い「まだ、お迎えが来てくれないよ」
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2022/05/26 11:03
5月22日、青森県十和田市の蔦温泉を訪れたアントニオ猪木。2019年に亡くなった妻・田鶴子さんの納骨式と、「アントニオ猪木家の墓」の建立式を行った
かつて飛行機に乗って地球の裏側のブラジルと日本を日常のように往復していた時代の猪木を知る人ならば、「青森なんてほんの数時間の距離でしょう」と言いたくもなるだろう。
だが、自由に動かなくなった体という事実は、そんな言葉さえ打ち消してしまう。
かつて猪木が語っていた死生観「砂漠に消えるのがいい」
蔦温泉旅館に入ると、壁に額がかかっている。「つたえ歩きで」という名の詩だ。
「風呂場からゆぶねに浸かれば あつい熱が心地よく体のしんへと入ってくる 汗ばんだ体を水風呂につかれば 小さなことはふきとんで 気分は天国 杖をわすれて廊下を歩く 千年の温 蔦温泉」(原文ママ)
猪木が詠んで自ら書いたものだ。
波乱万丈の人生を歩んできた猪木もまたここにたどり着いたのか、と思ってしまった。
かつて猪木は死を語るとき、「足跡を消したい。砂漠の砂の中に消えるのがいいな」と言っていたが、こうして「アントニオ猪木家」の墓を作ってしまった。それも青森の山中だ。
しかし、猪木家ではなく「アントニオ猪木家」というのが猪木らしいかな、とも思った。お墓が好きな人はそんなにいないだろうが、ある年齢を迎えると、そういうことを考えるようになるのだろう。
前日、筆者は蔦温泉から車で30分ほど離れたところにある八甲田山中の温泉宿・ホテル城ヶ倉に泊まった。この宿の廊下にも猪木の書いた文があり、また前の敷地にはズッコさんの記念碑があった。
そこには「鶴」という大きな文字とズッコさんが使っていた小さな手鏡がレイアウトされていて、猪木の言葉が続いていた。
「花に嵐のたとえがあるように さくらの花のように散っていた ズッコ いつまでもいつまでも 皆んな心の中で生きてるよ」
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