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“伝説の革命家”フィデル・カストロがアントニオ猪木「亡き愛娘」の思い出に涙した夜「赤ら顔の2人が旧友のように肩を組んで…」
posted2022/05/01 17:01
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
1989年、アントニオ猪木は「スポーツ平和党」を結成し参議院選挙に当選、政界に進出する。翌1990年、各国の首脳陣と会談を持つため中南米への旅に出た猪木は、キューバでフィデル・カストロ国家評議会議長(当時)と対面した。猪木と意気投合した“伝説の革命家”が、会食中に流した涙の理由とは。50年間にわたって“燃える闘魂”を撮り続けた写真家が、政治家・猪木の知られざるエピソードを綴った。(全2回の1回目/後編へ) ※本稿は原悦生氏の著書『猪木』(辰巳出版)の一部を抜粋、再編集したものです。
ご存じの通り、キューバは社会主義国家である。当然、私は初めての来訪だ。
ハバナの空港に到着すると、スペイン語が飛び交っている。ここは国際空港だが、印象は地方の空港のようで、どことなく殺風景に映った。
我々が着くと、すでに政府から迎えの車が来ていた。飛行機に預けた荷物は政府関係者が運んでくれたようで、ホテルに着くと確かに部屋に置いてあった。
私は猪木もキューバに来るのは初めてだと思っていたが、実は前年にソ連に行く前にキューバに寄ってフィデル・カストロ国家評議会議長と会っているという。
「今回もカストロ大統領には会えるかもしれない」
猪木の口ぶりを聞くと、会えると確信しているように見えた。キューバにいる日本の総領事が猪木と親しくしていて、その人の根回しもあったようだ。
日本食が好きだというカストロ議長は時々、日本総領事館を訪問して夕食を楽しんでいるという。その際に、「猪木さんが日本から来る」と伝えていたのではないだろうか。
街に出てみると、住人たちの生活は思っていたよりも質素だった。空港と同じく、街並みは殺風景。ホテルの部屋の中にも最低限のものしかなかった。走っている車も古いタイプが多く、明らかに新型ではない。イメージとしては1960年代のアメリカの車がそのままタイムスリップして、キューバの道を走っているような感じだ。