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「あのボレーはジダン自身を救ったんだ」「とにかくシャイで…」銀河系マドリー指揮官と同僚が語る“CL史上最高ゴールと天才MFの素顔”
text by
豊福晋Shin Toyofuku
photograph byDaisuke Nakashima
posted2022/05/28 06:00
『アサドール』店内。無数の写真の中に「伝説のボレー」の一枚が
我々の間にリスペクトはあったが……
若手の育成を生涯続けようと思っていたデルボスケのキャリアを変えることになったのは1999年。トシャックの後任としてチームを率い、それから黄金期を築いていく。
「毎年のように世界的なスーパースターがマドリーの扉を叩いた。そんな時代だ。人々は言う。スターだらけのチームを率いるのは、さぞかし大変だったでしょうと。しかし私は楽しんでいたし、やるべきことをやっていたんだ。私は人間として正しい振る舞いをすることを常に心がけてきた。サッカーは勝負の世界ではあるが、決して間違ったことをしてはならない。あとは、選手に近づきすぎないことだね。相談に乗ることはある。食事をすることも。しかし、最終的にプレーできるのは11人だ。私は君を絶対に起用する、なんて言葉は一言も発さなかった。ジダンでもそうだ。我々の間にリスペクトはあったが、決してそれを超えることはなかった」
デルボスケのマネージメントはスター軍団に見事にマッチした。嘘をつかず、選手にも、メディアにも、常に真摯に対応した。パリでバレンシアを下してチャンピオンズリーグ優勝を果たし、2年後、再び欧州の頂点に立った。レアル・マドリーの歴史の中でも極めて輝かしい光を放った時代だ。
ロベカルのクロスはお世辞にも……
ジダンのボレーシュートは、デルボスケの心にはっきりと刻まれている。
「ソラーリから前線に出て、ロベルト・カルロスがクロスを上げた。お世辞にも精度の高いクロスとはいえない。私はジダンがシュートするかどうかすら読めなかったよ。あんなボレーは、練習ですらやったことがなかったから。しかしジダンはやった。それも、あの舞台で、あの瞬間に決める。キャリアの中で、いろんな選手を見てきたが、歴史的なことができる選手というのは限られている。テクニックがあるだけじゃない。何かを持っていないとダメなんだ。特別な選手が持つ、何かをね。ベンチからたくさんのゴールを見てきたが、あれは忘れられない特別な記憶だ」
やがて訪れる時代の終焉を、彼は少し悲しそうに語った。クラブはデルボスケとの契約を延長せず、カルロス・ケイロスを迎えた。デルボスケを「時代遅れ」とし手放したその決断は、その後のマドリーに苦い時代をもたらした。はるか東ではロナウジーニョが新たなバルサを築き始めていた。