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「あのボレーはジダン自身を救ったんだ」「とにかくシャイで…」銀河系マドリー指揮官と同僚が語る“CL史上最高ゴールと天才MFの素顔”
text by
豊福晋Shin Toyofuku
photograph byDaisuke Nakashima
posted2022/05/28 06:00
『アサドール』店内。無数の写真の中に「伝説のボレー」の一枚が
もしあのガラクティコを率いてなかったら
「あのままマドリーで続けていてもどうなったかはわからない。ただ確かなのは、もしあのガラクティコを率いてなかったら、人生は変わっていただろうということだ。あの優勝がなければ、のちにスペイン代表を率いていなかったかもしれない。ワールドカップを手にすることも。あの経験が、私の人生を進めてくれたんだ」
デルボスケは当時、ジダンが将来監督になるとは思っていなかったという。彼自身、自分が監督になるとは思っていなかったのと同じで、それは予想外のことだった。
「私から何かを吸収してくれているのなら嬉しい。彼に伝えたいのは、敗北を気にするなということだ。サッカーの世界だ。常に勝てるわけはない。負けを受け入れること。ジダンにはそれができると思う」
ジダンをじっくりと観察していたエルゲラの記憶
イバン・エルゲラは、カステリャーナ地区で人気のレストラン『BiBo』で夫人と食事をしていた。
テーブルに着くと、じゃあね、と言って夫人にキスをする。久しぶりに見た彼は精悍で、体も引き締まっていた。
当時、背番号6をつけていたエルゲラは、ロッカールームでジダンの隣だった。
2001年夏、隣にやってきた静かなフランス人を、彼はじっくりと観察していた。
「最初の印象は、すごく大人しいなってものだった。とにかくシャイでね。きたばかりの頃は、ロッカーが隣でも、特に話しかけてくるわけでもなかった。まだスペイン語ができなくて、フランス語かイタリア語を話せる人とばかり話してた」
プレーには感心させられることばかりだった。ルーレット、普通は不可能なトラップ、気品のあるプレーは極上だった。
あのボレーは、何よりもジダン自身を救ったんだ
「あのボレーは、何よりもジダン自身を救ったんだ。今となっては信じられないけど、ジダンは批判すらされていたからね。当時の移籍金というのは、天文学的な数字だった。それに見合う活躍をしているのかと、メディアは少しでもまずいプレーをしようものなら疑間を投げかけていた。ジダンはあのゴールで、そんな批判を消し去ったんだ。それからは僕が知る限り、一度も批判はされていない。あの一発で、ベルナベウの彼はレジェンドになったわけだ」
ジダンらスター選手の毎年の加入により、エルゲラの身にも変化が起こっていた。中盤にフィーゴ、ジダンが入り、ソラーリやマクマナマンもいた。デルボスケはエルゲラの万能性と戦術理解度を評価し、彼をセンターバックヘと下げることになる。選手としての新しい挑戦だった。
「あの頃の中盤には人材が溢れて、僕はポジションを下げることになった。かつてフェルナンド・イエロがたどったようにね。でもおかげで、僕はその後も長くマドリーでプレーできた。それにジダンやフィーゴがいるんだ。いやだ、俺が中盤でやる! とは言えないだろう? あんなボレー、誰でも決められるわけじゃないし」
あの試合後のロッカールームをエルゲラは忘れていない。あれほどシャイだった隣のジダンが、歓喜を爆発させていたからだ。
<#2に続く>
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