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“藤井聡太14歳と戦った男”が異色の将棋ベストセラー著者に 「敗戦に関する痛覚は完全にバグってます」AI研究に没頭する今とは
text by
白鳥士郎Shiro Shiratori
photograph byTakashi Araki
posted2022/05/24 17:00
奨励会時代に藤井聡太と戦った頃の『あらきっぺ』さん
「とりあえず精神力は付きました(笑)。いやぁ……本当に萎えるんですよ。20日目くらいからはもう、机の前に座ってパソコンを立ち上げる前から、つらくなって。
将棋ソフトと戦うと、コールド負けをするんですよ。さらに自分がやられた戦法をやり返しても、やっぱりコールド負けをするんです。
『ソフトはこうやって仕掛けてくるんだな! じゃあこういう対策をしよう!』となって、優勢になっても、やっぱりコールド負けをする。それが精神的にキツい部分ではありますね。しかも日常生活でもつらいことがあると、ダブルパンチになる(苦笑)」
敗戦に関する痛覚は完全にバグってます(笑)
——では、ずっとつらいままだったんですか?
「それも慣れみたいなものもありまして……自分が間違える傾向であったり、ちょっと相手が苦しいはずの局面で捻り出してくる好手を見られて嬉しかったり、楽しいという感情になってきます。サウナみたいなものです。慣れると気持ちがよくなってくる。
70日目や80日目になると『この状況になるともうだめだ』とか『この段階なら何とかできるはずだ』とか、でも『これ以上踏み込むと底なし沼だから、だめだ』と、そういう見極めはできるようになりました」
——それでも、勝てるわけじゃないんですよね? よく100日間も心が折れなかったなと思うんですが……。
「私は、負けることの痛覚が鈍っているので。最後の三段リーグで、9勝8敗のところまで行って、勝てば延長・負ければ退会という勝負をして負け。それを超える負けの痛みって、もう人生では無いんじゃないかなと。敗戦に関する痛覚は完全にバグってます(笑)」
◇ ◇ ◇
100日間の対局を経た直後。『第2回世界将棋AI電竜戦 本戦』で、あらきっぺは奇跡を起こしている。ソフトを相手に千日手(引き分け)を奪ったのだ。しかも、不利な後手番で。
いま流行の言葉を使えば『AI超え』とも呼べるこんな奇跡を起こせるなど、開発者達ですら全く想定していなかった。水匠の開発者である杉村達也も「あらきっぺさんが後手番で千日手を取った『koron』は、人間が戦ってどうにかなるようなものではないはずなんですが……」と、驚きを隠せない。
「水匠って強いうえにランダム性をはらんでいるんです。同一局面でも一局一局違う手を指してくる。そうなると人間では全く敵わなくて、心が折れちゃうんじゃないかなと思ったんですが……。
ブログを読むと、あらきっぺさんは水匠を相手にも後手番で3回も千日手を取っている。私は『elmo(※)』と水匠を100局戦わせたことがあるんですが、elmoですら水匠には96敗4千日手でした。しかも千日手は全てelmoが先手番です。
さらにあらきっぺさんは、水匠を相手に評価値で400点くらいリードを取ったり、ソフトのうっかりを見つけて中盤で評価値を押し戻したりもしていました。これもとんでもないな、と」
(※佐藤天彦名人に勝利した『Ponanza』に勝って、世界コンピュータ将棋選手権で優勝したソフト。対振り飛車の『elmo囲い』は升田幸三賞を受賞した)
“ソフト相手に千日手”は将棋の強さとは違う
——素朴な疑問なんですが……今のソフトを相手に後手番で千日手にできるほどの棋力があれば、人間相手に無双できませんか?