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「そこまで落ちたか原辰徳と、血が沸騰してくるような感じ」巨人・原監督が中田翔に“6245打席目での送りバント”で乗り越えて欲しかったものとは? 

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鷲田康

鷲田康Yasushi Washida

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posted2022/05/21 11:03

「そこまで落ちたか原辰徳と、血が沸騰してくるような感じ」巨人・原監督が中田翔に“6245打席目での送りバント”で乗り越えて欲しかったものとは?<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

5月13日の中日戦、プロ入り15年目で初めて送りバントを決めた中田翔

「凄く気持ちよかった。バントの次に興奮しました」

 この試合は中盤までに5点差をつけられて追いかける展開となった。6回に2点を返し、そして迎えた7回である。

 グレゴリー・ポランコ外野手の二塁打で1点を挙げ、2点差まで迫ったなお1死二、三塁。中日ベンチは4番の岡本のカウントが2ボールと悪くなったところで申告敬遠を指示。満塁として、中田との勝負を選択した。

「2ボールでカウントが悪くなって敬遠になって……自分も頭に入れていたシチュエーションだったので、その辺に関しては冷静に打席に立てたと思います」

 中田は振り返る。

 カウント1ボール1ストライクから3番手の祖父江大輔投手が投じた135kmのスライダーだった。左翼席に弾んだ打球を見届けると、中田は一塁手前で拳を握って歓喜の雄叫びを上げた。

「興奮してあまり覚えていないけど、凄く気持ちよかった。バントの次に興奮しました」

 試合後にはこんな中田節も戻ってきていた。

 実は同じ思いを経験した人間が巨人ベンチにはもう1人いる。

 1989年。近鉄との日本シリーズ第5戦での原監督だった。

「次の行き先はフェンスの外(引退)だ」

 89年は藤田元司監督から「これでダメだったら次の行き先はフェンスの外(引退)だ」と最後通牒を受けて外野にコンバートされた年だった。

 しかしシーズン打率は3割を大きく割り込む2割6分1厘まで下落、本塁打もルーキーイヤーを除く自己最低の25本と低迷した。そして迎えた日本シリーズだったが、チームは初戦からいきなり3連敗して崖っぷちに追い込まれた。その象徴的な存在のように、原監督も10打数ノーヒットと沈黙。打順も4番から5番、第3戦では7番まで降格していった。

 そして第4戦を勝って1勝3敗で迎えた第5戦だった。この試合では第4戦を「ボールが見えてきている」と藤田監督が評価。再びクリーンアップの「5番」で出場したが、第1打席は三振、第2打席は二飛、第3打席も遊ゴロと3打席凡退。シリーズでの連続無安打は18打席まで延びていた。

 2対1と巨人が1点をリードして迎えた7回の攻撃。この回先頭の9番・斎藤雅樹投手の安打から、送りバント、四球に内野ゴロで2死一、三塁として打席に4番のウォーレン・クロマティ外野手を迎えると、近鉄バッテリーはクロマティを敬遠、満塁策で次打者の原との勝負を選択したのである。

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